山本正淑
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山本 正淑(やまもと まさよし、1916年大正5年)6月15日 - 2009年平成21年)9月5日)は、日本厚生官僚高知県出身。厚生事務次官日本赤十字社社長などを歴任した。
経歴・人物

旧制高知高等学校を経て東京帝国大学を卒業後、1940年(昭和15年)厚生省に入省。

1961年(昭和36年)11月1日 - 1967年(昭和37年)7月1日 厚生省大臣官房長

1967年(昭和37年)7月1日 - 1965年(昭和40年)6月2日 厚生省年金局

1965年(昭和40年)6月8日 - 1967年(昭和42年)6月6日 社会保険庁長官

1967年(昭和42年)6月6日 - 1967年(昭和42年)9月19日 社会保険庁長官事務取扱

1967年(昭和42年)6月6日 - 1969年(昭和44年)8月12日 厚生事務次官[1]

退官後は、医療金融公庫総裁、財団法人厚生年金事業振興団理事長を経て、1987年(昭和62年)4月1日から1996年(平成8年)10月まで第12代日本赤十字社社長を務めた。

2009年(平成21年)9月5日脳出血のため東京都新宿区の病院で死去、93歳[2]
著書
共編著

『厚生年金保険法精解』
船後正道共編 財務出版 1966

『社会保障教室 国民生活の安定と福祉を求めて』小山路男共編 有斐閣選書 1975

『川添英雄君の想い出』編集 川添英雄君を想う会 1976

栄典

1988年(昭和63年)11月 勲一等瑞宝章受章[3]

脚注^ 『世界諸国の制度・組織・人事 1840-1987』、秦郁彦編、東京大学出版会、670、671ページ、14.厚生省
^ (日本語) ⇒“山本正淑氏死去 元厚生事務次官”. 47NEWS (共同通信). (2009年9月6日). ⇒http://www.47news.jp/CN/200909/CN2009090601000283.html 2015年8月13日閲覧。 
^ 「秋の叙位叙勲4538人、晴れの受章 隠れた功労者、史上2位の1741人」『読売新聞』1988年11月3日朝刊

先代
林敬三日本赤十字社社長
第12代:1987年 - 1996年次代
藤森昭一

先代
牛丸義留厚生事務次官
1967年 - 1969年次代
熊崎正夫

先代
牛丸義留社会保険庁長官
1965年 - 1967年次代
熊崎正夫


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