山本安英
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やまもと やすえ
山本 安英
何が彼女をそうさせたか』での山本安英(1929年撮影)
本名山本 千代 (やまもと ちよ)
生年月日 (1902-10-29) 1902年10月29日
没年月日 (1993-10-20) 1993年10月20日(90歳没)
出生地 日本東京市神田区
死没地 日本東京都文京区
職業女優
ジャンル舞台
活動期間1921年 - 1993年
配偶者夫・藤田満雄(死別)
主な作品
夕鶴』・『子午線の祀り
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山本 安英(やまもと やすえ、1902年明治35年)10月29日[1][2] - 1993年平成5年)10月20日[1])は、日本新劇女優・朗読家。本名は山本 千代(やまもと ちよ)。

築地小劇場の創立第一期メンバーで、戦後は木下順二作の戯曲『夕鶴』のヒロイン・つう役を1000回以上にわたって演じたことで知られる。
来歴
生い立ち

小柳トメの長女として生まれる[3]宮岸泰治は1969年に山本から「私生子なの」と告げられたと記しており[4]、戸籍謄本には父の名がない[3][注釈 1]。宮岸泰治の聞き書きでは、母の子として認知を受けたのは6歳の時だったという[4]。山本は自伝に東京神田で生まれて、「間もなく家の都合で横浜日の出町に移り住みました」と記している[6]。戸籍上は出生当時から住所は横浜市青木町反町だった[3]

幼少期の保護者は祖父と母で[6]、その後弟が3人生まれ、小学校に上がる頃には祖父は他界していた[5][注釈 2]。山本によると祖父は芝居好きで、幼い山本に『仮名手本忠臣蔵』の鷺坂伴内の振りを教えて、山本はそれを夕食後に演じていたという[8]。母親は外国人向けの写真やガラス絵に彩色する下請け仕事をしていたが、貧しい暮らしぶりだった[5]。父は時々横浜の自宅を訪ねて土産の牛肉で作った料理を子供たちに振る舞うと、すぐにまた出て行ったと山本は記している[5]。横浜市内で住所を2回移り、3つの小学校に通った[3][5]。小学校高学年になると、母の作った商品を販売先の店に届ける仕事を担った[5]。山本は幼少期の体験と舞台での役柄の関わりについて、「貧しい家に育っていく少女の役々を、何かのびのびと想像力が湧いて来るままに自然に理解することができる気がしたのも、知らないうちに、この頃の生活が思い出されていたからかも分りません」と述べている[9][注釈 3]

1917年、15歳の時に叔母(母の妹)の山本サダおよび夫の山本章太郎の養女となる(弟の一人もあわせて養子となった)[3][4]。養父の章太郎は東京の麹町区(現・千代田区紀尾井町で開業医を営み、夫妻に子供はなかった[3][4][9]。山本は横浜在住のまま神奈川高等女学校(現・神奈川学園高等学校)に進学する[3][4]。養母(叔母)は芸事好きで、山本が長唄の稽古を受けることを許した[9]。休みには養父母の家で過ごし、長唄や踊りを習いに通った[4]。この女学校時代に山本は本格的に俳優となることを志した[11]。その背景には貧しい生家を助けるために職業に就きたいという意識があったと山本は自伝に記している[11]。山本の希望を知った養母は、5代目中村歌右衛門に話をして女学校在学中の山本と面接させ、歌右衛門からは「男なら養子にしてもいいが、女なのが惜しい」という丁重な返答があったという[12]
戦時中までの活動築地小劇場の『愛慾』で千代子を演じる山本安英(右)。
左は英次役の友田恭助(1926年)

1921年大正10年)に歌舞伎俳優2代目市川左団次主宰の現代劇女優養成所の生徒募集を新聞で知り応募する[11]。選考の結果、最年少で合格者となる[4][11][注釈 4]。養成所入りに際して「安英」という芸名を付ける[11]。山本によるとこの芸名は養父に知られないために付けたもので、明確な由来などはなく、読み方も当初は一定しなかったが「世間のほうで」決めてくれたという[11][注釈 5]。同年12月に左団次一座の帝国劇場興行(小山内薫原作:『第一の世界』)で、左団次の娘役として初舞台を踏む[3][4][11]。養成所には小山内のほか土方与志も関与したが、初回公演のみで翌年春には解散となった[11]

山本は養父母宅で暮らしながら、ライオン歯磨(当時の社名は「小林商店」)の開いた「ライオン児童歯科院」に勤務した[11][注釈 6]。当時ライオン歯磨広告部にいた詩人の大手拓次の日記によれば、山本が入社したのは1922年11月16日だった[16]


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