この項目では、俳優の山本學(やまもとがく)について説明しています。作曲家の山本学(やまもとまなぶ)については「山本学」をご覧ください。
やまもと がく
山本 學
別名義山本 学
生年月日 (1937-01-03) 1937年1月3日(87歳)
出生地 日本・大阪府茨木市
身長167 cm
血液型B型
職業俳優
ジャンル舞台
映画
テレビドラマ
活動期間1957年 -
配偶者水野久美
(1966年 - 1969年)
一般人女性
(1970年代 - 2007年)
著名な家族山本勝巳(父)
山本薩夫(叔父)
山本圭(弟)
山本亘(弟)
事務所エム・アール
主な作品
テレビドラマ
『愛と死を見つめて』〈1964年版〉
『ありがとう』
『白い巨塔』
『不良少女と呼ばれて』
『春の波涛』
『八代将軍吉宗』映画
『戦争と人間』
山本 學(やまもと がく、1937年〈昭和12年〉1月3日[1] - )は、日本の俳優。山本 学 表記での出演作も数多く、クレジットが「山本學」に統一されたのは、1990年代半ば以降である。
大阪府茨木市生まれ[1]、東京育ち。成蹊中学校・高等学校卒業、成蹊大学中退、俳優座養成所第7期生[1]。建築家の山本勝巳の長男。俳優の山本圭、山本亘は弟。元妻に水野久美がいる。1953年に起こった日章丸事件で、舞台となった出光興産所有のタンカー・日章丸の船長であった新田辰男
は伯父にあたる。所属事務所は、エム・アール。当初は建築家の父を継ぐつもりであったが、たまたま見た芝居の舞台装置に興味を持ち、弟・山本圭の友人だった東野英心の父・東野英治郎に相談し、1955年に俳優座養成所第7期生となる(同期は水野久美、大山のぶ代、富士真奈美、井川比佐志、露口茂、田中邦衛)。
1956年、成蹊大学を中退。
1957年、『裸の町』の丁稚役でデビュー。
1958年、劇団新人会へ入団し、テレビドラマと舞台に相次いで出演(劇団は1972年に退団[1])。以降、バイプレーヤーとしての評価を確固たるものにし、1970年代の時代劇での狂気的な悪役など、特異な存在感を持つ怪優としても個性を発揮。
1980年には演劇プロデュースを目的とした「五五の会」を設立[1](三三五五集まって良い舞台をつくり三三五五散る、との趣旨の名)。『時代屋の女房』『馬車道の女』『罠』などを上演した。中でもロベール・トマ作の『罠』は20余年かけて全国津々浦々の劇場をまわった。
1993年には、第18回(1992年度)菊田一夫演劇賞を受賞した(『雁金屋草紙』、『晩菊』の演技に対して)[1]。
テレビドラマでは医師役が多く、中でも1978年に『白い巨塔』で演じた内科医・里見脩二役は代表作の1つ。
1966年には、養成所時代から10数年交際していた水野と結婚したが1969年に離婚[3]。その後、広島原爆の被爆者である一般人の女性と再婚したが、2007年に死別[4]。
2012年9月5日、山本、三宅久之、長谷川三千子、金美齢ら28人は、同年9月の自由民主党総裁選挙に向けて、「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」を発足させた[5][注 1]。同日、同団体は安倍晋三の事務所に赴き、出馬要請をした[16][7]。9月26日、総裁選が実施され、安倍が当選した。 ※「 - 」は役名
出演
テレビドラマ
巣立ち(1962年、NHK) - 小坂勉
東芝日曜劇場(TBS)
カミさんと私 シリーズ(1963年 - 1972年) - 清水健二
愛と死をみつめて(1964年) - 河野実
土曜と月曜の間(1964年)
女と味噌汁その6、29、30(1967年、1974年) - 松本清
亜紀子 前・後編(1971年) - 仁部孝
式場の微笑(1975年)
証明(1977年) - 高木信
源氏物語(1965年 - 1966年、MBS) - 頭中将
わが心のかもめ(1966年、NHK) - 手島
大河ドラマ(NHK)
三姉妹(1967年) - 高杉晋作
天と地と(1969年) - 足利義輝
新・平家物語 (1972年) - 平頼盛
春の波涛(1985年) - 島村抱月
八代将軍吉宗(1995年) - 久世重之
元禄繚乱(1999年) - 吉田忠左衛門
軍師官兵衛(2014年) - 快川紹喜
おんな城主 直虎(2017年) - 甚兵衛
ザ・ガードマン 第145話「私の愛した死体」(1968年、TBS) - 中原
日本任侠伝 第1話「国定忠治」(1969年、NET)
無用ノ介 第16話「さむらい渡とのらいぬ無用ノ介」(1969年、NTV) - 渡徹馬
青空浪人(1971年、NTV) - 鳥居甲斐守
ありがとう 第2シリーズ(1972年、TBS) - 千葉広道
シークレット部隊 第24話「恋の泥棒作戦」(1972年、TBS) - 内藤 役