山本哲士
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

山元哲二」あるいは「山元哲治」とは別人です。

山本哲士
誕生山本哲士
昭和23年(1948年7月10日
福井
職業哲学者
政治社会学
言語日本語
国籍 日本
教育博士教育学
最終学歴東京都立大学大学院教育学科
ジャンル教育学
哲学
ホスピタリティ環境学
和歌
随筆
主題現代思想、文化資本、自己技術
資本経済・場所環境、述語制様式
代表作『学校・医療・交通の神話』(1979年)
『哲学する日本』(2011年)
『国つ神論](2013年)
『フーコー国家論』(2016年)
『 ⇒述語制の日本語論と日本思想』(2019年)
『 ⇒聖諦の月あかり』(2020年)
影響を受けたもの

イバン・イリイチミシェル・フーコー吉本隆明

ウィキポータル 文学
テンプレートを表示

山本 哲士(やまもと てつじ、1948年7月10日 - )は、哲学者、政治社会学者。

東京藝術大学客員教授、元信州大学教授。文化科学高等研究院ジェネラル・ディレクター。日本ホスピタリティ財団理事。(財)日本国際高等学術会議理事長。

ホスピタリティ環境学、教育社会学、政治社会学を専門としながら経済論、政治論、日本文化論、メキシコ研究などの超領域的専門研究を拓き、大学アカデミズムとは異なるさまざまな新たな学術生産の活動に携わる。

また、かつては熱心な大洋ホエールズ、横浜ベイスターズファン。

著書・編書は雑誌編集も含めると200冊以上にわたる。2006年以降は、「資本経済」の実践として学者たちによる出版、文化科学高等研究院出版局を運営する。
人物・来歴

福井県福井市に生まれる。浪人時代「原民喜論」でZ会懸賞論文最優秀賞。横浜国立大学教育学部に進み、サークル活動でフランス文学研究会をシュールレアリズム研究会に改組し、同人詩集を編集・刊行、無党派として旧・新左翼の党派政治主義と異なる新たなタイプの学生運動を独自に展開、自主講座から五十嵐良雄、梅沢謙蔵、佐野美津男といった講師を大学側に正規に承認させ、大学4年生のとき阿久津てつしのペンネームで「自闘論」を『構造』に発表、清水昶の詩と吉本隆明の詩から政治を論じ、周囲からは「横浜のランボー」と称される[1]

1972年に卒業後、旧・東京都立大学大学院に進み教育学を専攻。修士論文は「キューバ教育の社会主義的変容」。キューバ革命教育のダイナミクスとその停滞を考証、次に、非イデオロギー的な革命としてメキシコ革命の検証に入り、博士論文「メキシコ革命における1910?1940年の教育変容」を実証するも、実証研究に限界を感じ、以後、断ち切る[2]

日本の教育学、アカデミズム、社会主義、さらには日本そのものに限界を感じていた山本は、オーストリア出身で当時メキシコを拠点に活動していた文明思想家イヴァン・イリイチの非学校化deschoolingの考えに希望を見いだし、1975年、帰国の費用も持たずメキシコに旅立つ。[3]。以後、3年間にわたって、イリイチが主宰するメキシコ国際文化資料センター(CIODC)に参画、ラテン・アメリカ研究、学校化・医療化を含む産業社会批判の研究に取り組む。また、セマナワック教育コムミダードの講師として、ラテンアメリカの文化・歴史・社会、スペイン語の講義を行った。

帰国の際には、栗原彬、新曜社の堀江洪らの助けを受け、大学院修了。さらに日本エディタースクール出版部の吉田公彦のもとで雑誌「actes]」を刊行。また、以前は「本業」とまで言い切るほどの大洋ホエールズ・横浜ベイスターズファンで「月刊ベイスターズ」のコラムニスト1996年から務めたほか(2007年5月号で休載)、「野球文化学会」創設にも尽力。
近代学問分類体系にとらわれない超領域専門研究を自ら提言し実行[4]、パリの社会科学高等研究院のメンバーからアドバイスをもらいながら、「文化科学高等研究院」を設立し、企業との協働ワークをもって世界の学者たちとの研究生産の活動を為す[5]飛島建設飛島章、資生堂福原義春富士ゼロックス小林陽太郎が、主に支援協力し、文化資本経営の動きを作った[6]。東京デザインネットワーク(ソニー、日産、キャノン、NEC、日立)のアンカーマンを務め「文化技術」概念をデザインへ導入[7]。さらにホスピタリティの普及をウインザー洞爺ホテルの窪山哲雄、二期倶楽部の北山ひとみ、京都ハイアット・リージェンシーの横山健一郎、巣鴨信用金庫、ポーラ、凸版印刷などと協同してなした。研究生産が大学でなされえない低研究費の環境を脱皮して新たな研究環境を作ることと、企業の知的資本の形成を図ることであった。経済システムと教育システムが分離した大学制度の系列に代わって、欧米のように「高等研究機関」を作るべきことを提唱する[8]

イリイチ、フーコー、ブルデュー、吉本隆明、ラカンの思想・理論研究をベースに、産業社会・消費社会論、教育論、権力論、経済論、ジェンダー論、場所環境論、文化資本論、国家論、言語論、精神分析理論、映画論などを超領域的に展開し[9]、日本研究へ到り、西欧の主客分離の原理に代わる、「非分離・述語制・場所・非自己」の哲学原理を日本文化において抽出、古事記を「国つ神」から解読し、多元的な場所環境の政治統治・資本経済を提唱している[10]。スイス、ローザンヌ・ホテル大学と共同し、ホスピタリティ研究でもその魁となった[11]。河北秀也監修、山本編集で『季刊iichiko』を1986年に発刊、超領域的な特集を組み続けている[12]。国家論5部作をまとめ[13]、カナダの金谷武洋による「日本語には主語がない」提起、さらに藤井貞和の助動辞論、パリの浅利誠の助辞論を受け、「述語制」概念を深化し、「述語制」言語としての日本語論を彼らとともに構築している[14]。印欧語の主語制言語哲学に対する述語制言語からの哲学および主語制言語を集中化・統合化した「国家資本」の組み替えを、場所論、資本概念転移とともに提起する[15]

2016年9月より動画レクチャー配信のWeb Intelligence Universityのゼネラルディレクター。

2017年6月、「文化資本学会」を設立、学会長。

2019年3月、一般財団法人「日本国際高等学術会議」を設立し、理事長に就任。2020年7月、「新資本経済学会」を設立

資本経済マネジメントの探究と確立を、若い企業人たちと活動している[16]
年表

1948年 - 福井県生まれ

1980年 - 旧・東京都立大学人文科学研究科教育学専攻博士課程修了

1986年 - 季刊誌iichiko 研究・編集ディレクター。また國學院大學立教大学などの非常勤講師を経て信州大学専任講師となり、後に同大学の助教授を経て、教授に就任。


2000年- スイスジュネーヴにおいて国際学術財団「F・EHESC」を設立してジェネラル・ディレクターに就任。

2005年 - 「国際ホスピタリティ研究センター」を設立。

2007年 - 東京藝術大学客員教授(?11年)

2008年- 3月、定年を待たずに、大学に見切りをつけ、大学職を辞める(『聖諦の月あかり』参照)。

2013年 - 「国際ホスピタリティ研究センター」を「ジャパン・ホスピタリティ・アカデミー」へ改組、ジェネラル・ディレクターに。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:34 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef