山本博_(アーチェリー選手)
[Wikipedia|▼Menu]

山本 博 個人情報
生誕名山本 博
国籍 日本
生誕 (1962-10-31) 1962年10月31日(61歳)
日本 神奈川県横浜市

スポーツ
日本
競技アーチェリー

獲得メダル

アーチェリー
日本
オリンピック
2004 アテネ個人
1984 ロサンゼルス個人
世界選手権
銅2009 蔚山団体
アジア大会
1982 ニューデリー個人
1986 ソウル団体
1986 ソウル50m
1990 北京団体
1994 広島団体
2002 釜山個人


山本 博
研究分野スポーツ医学
スポーツマネジメント学
研究機関日本体育大学
弘前大学大学院
出身校日本体育大学体育学部
弘前大学大学院
博士課程
指導教員中路重之
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

山本 博(やまもと ひろし、1962年10月31日 - )は、日本アーチェリー選手、医学者学位医学博士弘前大学大学院2015年)。日本体育大学 体育学部・教授。東京都体育協会・会長。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問。所属事務所はPEAKS。
来歴

神奈川県横浜市保土ケ谷区出身。横浜高等学校3年次に同志社大学を受験するも不合格、将来は教員志望という事もあり、一浪して体育教員養成では定評もあってアーチェリー部のある日本体育大学体育学部社会体育学科に合格した。日本体育大学体育学部社会体育学科卒。

大宮開成高等学校保健体育科教諭、日本体育大学女子短期大学部助教授を経て、2013年より日本体育大学体育学部社会体育学科教授。2015年3月に弘前大学大学院医学研究科博士課程修了。学位は博士(医学)[1]。指導者(体育教諭)として大宮開成高校時代にインターハイで全国制覇、母校日体大では同志社大学に決勝戦で勝利しインカレで日本一に導いている。

ロサンゼルスオリンピックアーチェリー男子個人銅メダリスト、アテネオリンピック銀メダリスト。

通称「山本先生」「中年の星」。最初の銅メダルから20年を経て41歳で1つランクアップした銀メダルを獲得したことが注目され、「中年の星」と呼ばれた[2]。山本は、「これから20年かけて金を目指します」と公言している[2]
経歴・競技歴等

横浜市立坂本小学校出身
[3]

横浜市立保土ヶ谷中学校アーチェリー部でアーチェリーを始める[3]

横浜高等学校在学中にインターハイ3連覇を達成。愛甲猛と同級生である。

1984年:日本体育大学3年生の時ロサンゼルスオリンピック出場。男子個人で銅メダルを獲得[3]

全日本学生選手権個人4連覇を達成。ただし、一浪しているため、インターハイと合わせて7連覇ではない。浪人時代の第二十回優勝者は1歳年上の太田信之である[4]

1986年:日本体育大学体育学部卒業。教員免許を取得。日本体育大学体育学部助手に就任[3]

1988年ソウルオリンピックに出場し8位入賞[3]

1989年:大宮開成高等学校保健体育教諭着任[3]

1990年:第23回全日本社会人選手権の男子70メートルで344点の世界新記録を達成。

1992年バルセロナオリンピックに出場。予選を9位で突破し、決勝トーナメント1回戦で、1989年世界選手権王者ではあるが予選を24位で通過したザブロドスキー(EUN)と対戦。序盤からリードを許し、106-108で敗退。17位に終わった。テレビ朝日松井康真アナウンサーと密着取材で知り合う。

1996年アトランタオリンピック19位[3]

2002年釜山アジア大会優勝[3]

2004年アテネオリンピックアーチェリー男子個人でマルコ・ガリアッツォに次いで銀メダルを獲得[3]彩の国功労賞を受賞。

2005年:書籍「最後は願うもの  41歳の銀メダル 」を出版。

2006年:大宮開成高等学校を退職し日本体育大学女子短期大学部助教授に就任[3]
W杯トルコ大会にて男子団体で守屋龍一近大)金村賢(京都・莵道高)らと組み優勝。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:40 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef