山本リンダ
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山本 リンダ
『映画情報』1967年12月号より
基本情報
出生名山本 あつ子
生誕 (1951-03-04) 1951年3月4日(73歳)
出身地 日本 福岡県小倉市
(現:北九州市
ジャンルアイドル歌謡曲
職業歌手
活動期間1966年 -
レーベル

ミノルフォンレコード

キャニオンレコード

徳間ジャパンコミュニケーションズ

事務所リンダ・ミュージック・オフィス
公式サイト山本リンダ:オフィシャル・ホームページ

山本 リンダ(やまもと リンダ、1951年昭和26年〉3月4日[1][2][3] - )は、日本歌手タレント。本名、稲葉 あつ子(いなば あつこ)[1][2]。旧姓名、山本 あつ子(やまもと あつこ)[3]

身長168センチメートル。リンダ・ミュージック・オフィス(自らの個人事務所)所属。

こまっちゃうナ」「どうにもとまらない」「狙いうち」などのヒット曲で知られる。「リンダ(Linda)」という芸名は、アメリカ人の父親に生前付けられた愛称である。なお、lindaはスペイン語ポルトガル語で「美しい」を意味する形容詞(の女性形)である。
来歴・人物
生い立ち山本は小学生のときに母親とともに創価学会に入会した[4]。『週刊平凡』1967年6月1日号の新聞広告。

福岡県小倉市[5](現:北九州市小倉北両区相当地域)に生まれる[6][2]。父親はアメリカ人、母親は日本人のハーフ[1][2]。父親はアメリカ軍の軍人だったが、リンダが1歳のころに朝鮮戦争で戦死した。そのため女手一つで育てられ、家庭は非常に貧しかった。

5歳の時に神奈川県横浜市に転居する[2][3]。小学校時代はハーフであるために学校でいじめられ、近所の大人たちからも白眼視されていた。大阪出身の母親は醤油味のお好み焼きをよく作り、また、山本を慰めた。

小学生のときに母親とともに創価学会に入会した[4]
1960年代

母親に楽をさせたいと思い、モデルのオーディションに応募。1962年昭和37年)に雑誌『装苑』のモデルオーディションを受検したことをきっかけに、人気モデルとして活動する。
第1次ブーム

1966年(昭和41年)9月、高校在学中の15歳の時に、ミノルフォンレコード(現:徳間ジャパンコミュニケーションズ)より遠藤実作詞作曲のシングル「こまっちゃうナ」で歌手デビュー[1][2][3]。同曲が大ヒットとなり、国民的アイドルとして全国に知られるようになった。翌年、『第18回NHK紅白歌合戦』でNHK紅白歌合戦初出場を果たした。当時は舌っ足らずな口調を売りにした、いわゆる「可愛い子ちゃん歌手」であった。

しかし、デビュー曲「こまっちゃうナ」が大ヒットした後は「ミニミニデート」[7]などの小ヒットがあったものの、長らく大きなヒットに恵まれず、人気は低迷する。
1970年代

1971年(昭和46年)、キャニオンレコード(現:ポニーキャニオン)に移籍する。
『仮面ライダー』

1971年7月から同年12月まで東映制作の『仮面ライダー』(毎日放送)に出演した[1][2][注 1]。同作のプロデューサー阿部征司は「山本は事務所移籍前で歌の仕事を控えていたため、すぐに出演OKをもらえた」と語っている[1]。リンダ自身は「当時は移籍の際に6か月間仕事をしてはいけないという慣例があったため、その間に出てほしいという話が事務所に来ていたのでは」と述べている[8]

『仮面ライダー』の北海道ロケでは、宿泊先のホテルの歓迎看板に「山本リンダ御一行様」と書かれたこともあったという[1][2][9]。この時期の『仮面ライダー』はまだ一般的な知名度が低かったため、ホテル側が「リンダの名を出した方が宣伝になる」と考えた結果だったようであるが、リンダ本人は道義を欠いたこの行為に「他のみなさん方に失礼です!」と激怒し、即座に看板を「仮面ライダー御一行様」に訂正させたという[1][2][10]。主演の佐々木剛も「前もってちゃんと説明してもらえれば、俺だっていくらでも協力するのにさ」と、勝手にリンダの名前が使われたことに苦言を呈している[11]。リンダ本人は「自分が出演した頃には人気も盛り上がっており、ロケーション先に着いたら多数の見学者が輪になって見学していた」と述べている[12]

夏を迎えて『仮面ライダー』は大ヒットし、高視聴率を獲得。リンダの認知度は、子供達のみならずお茶の間全体で上昇した。当時、リンダは孤独感が強かったらしく、アクションチームの大野剣友会のメンバーが、冗談を言ったりして一緒に遊んでくれたと述懐している[13]
第2次ブーム

1972年(昭和47年)、キャニオンレコード移籍第2弾目のシングルレコードとして、当時の売れっ子作詞家作曲家であった阿久悠都倉俊一のコンビによる「どうにもとまらない」を発表[2]。セクシーな大人の歌手にイメージチェンジして発表した同曲は大ヒットとなり[2]、再びヒット歌手として脚光を浴びた山本は「アクション歌謡」の先駆けとなった。当時前例のなかったへそを出して歌う大胆な衣装、情熱的で激しいダンス、扇情的な歌詞の内容などが話題になり、「こまっちゃうナ」時代を上回る人気を獲得。


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