山形県立山形西高等学校
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山形県立山形西高等学校

過去の名称山形市高等女學校
山形市立高等女學校
山形県高等女學校
山形県立山形高等女學校
山形県立山形第一高等女學校
山形県立山形第四高等學校
山形県立山形南高等学校
国公私立の別公立学校
設置者 山形県
学区東学区
校訓親睦友愛
切磋琢磨
設立年月日1898年明治31年)6月25日
共学・別学男女共学(名目)
男女別学(女子校、事実上)
課程全日制課程
単位制・学年制学年制
設置学科普通科
学期3学期制
高校コード06103E
所在地〒990-2492
山形県山形市鉄砲町一丁目15番64号
北緯38度14分15.5秒 東経140度19分39.7秒 / 北緯38.237639度 東経140.327694度 / 38.237639; 140.327694座標: 北緯38度14分15.5秒 東経140度19分39.7秒 / 北緯38.237639度 東経140.327694度 / 38.237639; 140.327694
外部リンク ⇒公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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山形県立山形西高等学校(やまがたけんりつ やまがたにしこうとうがっこう, Yamagata Prefectural Yamagata Nishi High School)は、山形県山形市鉄砲町一丁目にある県立高等学校目次

1 概要

2 沿革

3 年中行事

4 部活動

5 著名な出身者

6 交通アクセス

7 脚注

8 関連項目

9 外部リンク

概要
歴史
1898年明治31年)創立の「山形市高等女学校」を前身とする。1902年(明治35年)に県立移管され、数回の改称を経て1948年昭和23年)の学制改革により、新制高等学校となった。男女共学であるが、高等女学校が前身ということもあり、事実上女子校となっている。制服はセーラー服2013年平成25年)に創立115周年を迎えた。
設置課程・学科
全日制課程 普通科
校訓
「親睦友愛・切磋琢磨」
校章
高等女学校時代の1930年(昭和5年)に制定。当時の山形県女子師範学校と兼任の図画担当教諭、大八木栄治による図案。校名の改称に伴い、中央の文字を変更。(八稜鏡[1]と丸い鏡)を組み合わせたものを背景にして、中央に「山形西高」の文字(縦書き)を置いている。
象徴「嚶鳴」
学園祭校友会同窓会PTA後援会のいずれにも「嚶鳴(おうめい)」の名が付けられている。これは、鳥が相和して睦まじく鳴きかわすこと、転じて朋友・師弟の睦まじいつどいの心と切磋琢磨の心を意味している。
校歌
1953年(昭和28年)に制定。作詞は神保光太郎、作曲は信時潔による。歌詞は3番まであり、校名は歌詞に一切登場しない。その代わり学校の象徴である「嚶鳴」が登場する。
沿革
高等女学校時代


1898年(明治31年)
6月25日 - 「山形市高等女学校」が旅篭町(現・山形地方裁判所敷地)に開校。

1901年(明治34年)8月 - 「山形市立高等女学校」と改称。

1902年(明治35年)

4月 - 山形県女子師範学校の開校と同時に、「山形県高等女学校」が設置される。

山形市立高等女学校の生徒が収容される。


7月 - 香澄町(現・山形市民会館、山形保健所)に新校舎が完成。


1903年(明治36年)6月 - 「山形県立山形高等女学校」と改称。

1908年(明治41年)9月 - 皇太子が来校。

1925年大正14年)10月 - 皇太子が来校。

1929年(昭和4年)4月 - この時の入学生から修業年限が5年となる(それまでは4年だった)。

1932年(昭和7年)

4月 - 第二高等女学校の設置に伴い、「山形県立山形第一高等女学校」と改称。

11月 - 創立30周年を記念して体育館が完成。


1943年(昭和18年)4月 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年となる。

1944年(昭和19年)

2月 - 本校舎が全焼。

この年 - 勤労動員が開始。



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