山形大学
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山形大学
旧米沢高等工業学校本館(現:工学部資料館)

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大学設置1949年
創立1878年
学校種別国立
設置者国立大学法人山形大学
本部所在地山形県山形市小白川町1丁目4番12号
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度14分46.81秒 東経140度20分58.75秒 / 北緯38.2463361度 東経140.3496528度 / 38.2463361; 140.3496528座標: 北緯38度14分46.81秒 東経140度20分58.75秒 / 北緯38.2463361度 東経140.3496528度 / 38.2463361; 140.3496528
キャンパス小白川(山形県山形市)
飯田(山形県山形市)
松波(山形県山形市)
米沢(山形県米沢市
鶴岡(山形県鶴岡市
東京サテライト東京都港区
学部人文社会科学部(2017年4月人文学部より改組)
地域教育文化学部
理学部
医学部
工学部
農学部
研究科社会文化システム研究科
地域教育文化研究科
教育学研究科
理工学研究科
医学系研究科
農学研究科
岩手大学大学院連合農学研究科
ウェブサイト ⇒www.yamagata-u.ac.jp
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山形大学(やまがただいがく、英語: Yamagata University)は、山形県山形市小白川町1丁目4番12号に本部を置く日本国立大学1878年創立、1949年大学設置。大学の略称は山大(やまだい)[注 1]
概観
大学全体

山形大学は1949年昭和24年)、国立学校設置法に基づき新制大学として発足した。母体となったのは山形高等学校山形師範学校山形青年師範学校米沢工業専門学校山形県立農林専門学校である。設立時は文理学部教育学部工学部農学部の4学部。現在では人文社会科学部、地域教育文化学部、理学部医学部、工学部、農学部の6学部を有する総合大学となっている。学生数9,045名、教員数923名(非常勤を除く)、職員数1,317名(非常勤を除く)[1]

キャンパスは山形県内各地に分散して立地している。

小白川キャンパス(山形市) - 事務局、人文社会科学部、地域教育文化学部、理学部

飯田キャンパス(山形市) - 医学部、医学部附属病院

松波キャンパス(山形市) - 附属小中学校、附属幼稚園

米沢キャンパス(米沢市) - 工学部

鶴岡キャンパス(鶴岡市) - 農学部

エリアキャンパスもがみ(最上地域)- ヴァーチャルキャンパス

建学の精神 - 大学の理念・使命

基本理念として、「持続的発展が可能な循環型社会の形成」への貢献と「自然と人間の共生」を謳った『山形大学環境宣言』を策定している[2]
教育および研究

教養教育を学士課程教育の基盤である「基盤教育」として重視しており、その運営・実施機関として「基盤教育院」を設置している。学生支援では、学生と大学の関係を密接にすることを狙いとして、大学が直接学生をスタッフとして雇用するインターンシップ制度が創設される見込みとなっている。他に、アドバイザーが新たな成績評価制度に基づいて個別の学生に指導・助言を行うYU-サポーティングシステム、ボランティアの学生サポーターと連携した就職支援事業なども進めている。

研究面では世界レベルの若手研究者の育成を掲げるとともに、学部別では、医学部がグローバルCOEなどの競争資金の獲得を積極的に進めており、世界水準の高度先進医療の研究・教育拠点整備に取り組み実績を挙げている。工学部でも有機ELに代表される「有機エレクトロニクス技術」の世界的な研究拠点「有機エレクトロニクス研究センター」を設立し、有機エレクトロニクス技術で世界をリードすることが期待されている。
沿革

(沿革節の主要な出典は公式サイト[3]
大学設立

1949年に国立学校設置法により、新制山形大学が発足。山形高等学校山形師範学校山形青年師範学校米沢工業専門学校山形県立農林専門学校の長い歴史と伝統を受け継ぐ形で、文理学部、教育学部、工学部、農学部が設置された。

山形高等学校は文理学部となった後に人文学部と理学部となり、小白川キャンパスに所在する。山形師範学校は教育学部となった後に小白川キャンパスへ移動し、地域教育文化学部に改組された。米沢工業専門学校は工学部として米沢キャンパスとなり、山形大学の中で最も大きな学部になった。山形県立農林専門学校は農学部として鶴岡キャンパスとなり、小白川キャンパスから約100km離れたキャンパスとなった。

当初は各地のキャンパスを移転・統合する予定であったが、人文学部の教職員の反対により頓挫している。インターネットなど情報化社会の到来によって、遠隔地でも問題がなくなってきたこともあり、最近では統合の話が出ていない。

山形県全体としてみると、キャンパスが村山地方(山形市)、置賜地方(米沢市)、庄内地方(鶴岡市)それぞれに所在する。近年は最上地方新庄市)にも「エリアキャンパスもがみ」が設置され、県内4つの地区全てにキャンパスが配置されている。元々、旧制時代からその地域特性にあった学校があったため、それらの伝統を引き継いで地域の産業形態に添った形で教育・研究活動を行なっている。

工学部がある米沢地区はエレクトロニクス関連の企業が多く、農学部がある庄内地区は米どころとして知られている。旧制高等学校であった人文学部と理学部、師範学校であった地域教育文化学部は山形県の政治・経済の中心である村山地区にある。
入試過誤 - 山形大学アクションプランへ

2001年5月、工学部が1997年度以降5年間の入試において、計428人の本来合格であるべきであった受験生をセンター試験の傾斜配点集計ミスが原因で誤って不合格にしていたことが発覚した。このため大学はそれらの受験生に謝罪し、合格とした。工学部への年度途中入学を認めたのはもちろん、過去の受験生で他大学に入学してしまっていた場合には希望に応じて編入を認め、さらに浪人や他大学入学に伴う学費を負担するなど、数億円に及ぶ救済措置を行った。当時、文部科学省が進めていた「遠山プラン」を背景として噂されていた「大学解体の危機」に対して、「山形大学アクションプラン」を教員と職員が一体となって作成し乗り切った[4]

なお、この事件を発端に他大学でも類似のミスが続々と発覚し、個別の大学を単位とした入試制度のあり方自体を問う議論へと発展した。また、これを受け大手予備校河合塾など)は、大学・短大からの入試問題作成委託を公言し、大きな反響を呼んだ。
教育学部存廃問題 - 地域教育文化学部への改組

2001年の「国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会」で少子化を見据え教員養成系大学・学部の再編が要請された。山形大学でも宮城教育大学福島大学教育学部と再編統合の協議が行われ、山大は「教育学部の主たる教員養成を宮城教育大学にゆだねる」との提案を行った。しかし、この提案は「教育県山形」を謳う県民挙げての反対運動にあって頓挫。大学側は「教員養成機能を残した学部」への改組に踏み切り、2004年に教育学部は地域教育文化学部へと改組され、3学科の1つ地域教育学科だけが教員養成を中心に行うことになった。

しかし、これを契機として、県、市、大学が一体となった建設的な取り組みが始まり、数多くの副産物も生まれた。たとえば、教職大学院の設置に向けた検討が早くから県民の意思によって行われ、また、存続運動の中心的な役割を担った「山形大学教育学部を存続・支援する会」や「存続を求める関係団体連絡協議会議」などに寄せられた資金や県と市からの財政支援を基にして「やまがた教育振興財団」が設立された。財団は奨学金貸与事業などを進めている。
2007年学長選挙 - 文科省前事務次官が学長に

2007年9月、学長選挙学内意向投票では工学部の小山清人が378票で1位、医学部、地域教育文化学部が推した文部科学省事務次官結城章夫が355票で2位となった。しかし、意向投票の翌日に行われた学長選考会議の結果、14票中10票を集めた結城章夫が学長に就任した[5]。学長就任に際しては、全国初の事務次官天下り学長と注目を集め、学長選挙の不明朗な経緯も含めて新聞に批判的な記事が掲載された。事務次官在任中に山形大学関係者と接触したことは、天下りを制限した国家公務員法に抵触する可能性も指摘された。また、山形大学学長選考規則は現職の国家公務員には学長候補者の資格がないと明記しているが、この点も瑕疵があったのではとの指摘もなされた[6]

しかし、9月に結城学長下で発足した新理事会には、天下り反対派であった小山、中島勇喜(農学部)も加わり、全学体制が敷かれた。そして、学長就任後4ヶ月を経た頃には、教職員からの評価は早くも急上昇したと報じられている[7]

2014年3月末をもって結城は山形大学学長を退任[8]。2014年4月1日より小山清人が山形大学学長に就任した。
年表

1949年 国立学校設置法により、新制山形大学が発足(文理学部、教育学部工学部農学部を設置)。

1954年 工業短期大学部併設。

1964年 大学院工学研究科(修士課程)設置。

1967年 人文学部、理学部、教養部設置(文理学部を改組)。

1970年 大学院農学研究科(修士課程)設置。

1973年 医学部設置。

1975年 養護教諭特別別科設置。

1979年 大学院理学研究科(修士課程)、大学院医学研究科(博士課程)設置。

1983年 工学部にBコース(昼夜開講課程・夜間主コース)増設。

1985年 工業短期大学部廃止。

1993年 大学院教育学研究科(修士課程)、大学院工学研究科(区分制博士課程)設置(工学研究科(修士課程)を改組)。

1996年 教養部廃止。

1997年 大学院社会文化システム研究科(修士課程)設置、大学院医学研究科を大学院医学系研究科に名称変更。

1999年 大学院工学研究科を大学院理工学研究科に名称変更(理学研究科を廃止)。

2004年 国立大学法人法により、国立大学法人山形大学へ移行。

2005年 教育学部を地域教育文化学部に改組。

2006年 人文学部総合政策科学科を法経政策学科に改組。

2010年 工学部Bコース(夜間主コース)を統合しシステム創成工学科(フレックスコース)へ改組。昼間コースにバイオ化学工学科を設置。農学部生物生産学科、生物資源学科、生物環境学科の3学科を改組し、食料生命環境学科を設置。

2017年 農学部・医学部を除く全ての学部と理工学研究科において大幅な改組を実施。

2020年 新型コロナウイルス感染症の影響で卒業式が中止される。

基礎データ
所在地

小白川キャンパス:
山形市小白川町一丁目4-12

飯田キャンパス:山形市飯田西二丁目2-2

松波キャンパス:山形市松波二丁目7-2

米沢キャンパス:米沢市城南四丁目3-16

鶴岡キャンパス:鶴岡市若葉町1-23

象徴

現在の山形大学のロゴマークは、2001年に学生、卒業生、教職員などの大学関係者を対象に行われた公募で選定されたデザインが補作の上採用されたものである。山形大学の「山」の字をモチーフにデザインされ、色は緑豊かな山形をイメージした「常盤色(ときわいろ)」を採用している。他に『みどり樹に』という学生歌があり、入学式など様々な式典で歌われている。

また、2008年元気プロジェクトに採択され制作された『夢のカケラ』は、山形大学公式イメージソングとなっている。
編入学

工学部・農学部・人文学部・医学部(看護学科)で編入学を受け入れている。

三年次への編入学のみである。医学部看護学科は看護学校や看護短大からの編入生のみを対象としている。
学生の出身

山形市内のキャンパスは宮城県出身者が最も多く、それ以外のキャンパスは山形県出身者が多い傾向にある。

2020年度入学者の地域占別比率は、山形県が約24%なのに対し、宮城県は約23%となっている。志願者数では宮城県が最多の1,242人となっており、山形県の1,140人を上回る結果となった(入学者数は山形県が401人、宮城県が378人で逆転する)[9]。ただし学部によってその比率は大きく異なる。

小白川キャンパス(人文社会科学部、理学部、地域教育文化学部)は仙台市中心部と山形市中心部を結ぶ高速バス 仙台 - 山形線山交バス宮城交通)の「南高前」停留所から近いため、宮城県仙台市内から通う者もいる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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