株式会社山形テレビ
Yamagata Television System Inc.
本社・演奏所(山形市城西町)
種類株式会社
略称YTS
本社所在地 日本
〒990-8511
山形県山形市城西町五丁目4番1号
設立1968年12月27日
業種情報・通信業
法人番号6390001002067
山形テレビ
英名Yamagata
Television System Inc.
放送対象地域山形県
ニュース系列ANN
番組供給系列テレビ朝日ネットワーク
略称YTS
愛称YTS
呼出符号JOYI-DTV
呼出名称YTSやまがた
デジタルテレビジョン
開局日1970年4月1日
本社〒990-8511
山形県山形市城西町5丁目4番1号
演奏所本社と同じ
リモコンキーID5
デジタル親局山形 18ch
アナログ親局山形 38ch
ガイドチャンネル38ch
主なデジタル中継局鶴岡 18ch・新庄 21ch
米沢 34ch・小国 38ch
主なアナログ中継局鶴岡・酒田39ch
米沢・新庄58ch
ほか放送チャンネルの項を参照
特記事項:
1970年4月1日から1993年3月31日までは、フジテレビ系列(FNN・FNS)に属していた。
1993年4月1日に、テレビ朝日系列(ANN)にネットチェンジ。
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株式会社山形テレビ(やまがたテレビ、英: Yamagata Television System Inc.)は、山形県を放送対象地域とし、テレビジョン放送事業を行っている特定地上基幹放送事業者。
山形県におけるANN・テレビ朝日系列局。略称はYTS。コールサインはJOYI-DTV。 テレビ朝日をキー局としたANN加盟の放送局のひとつ。かつては山形新聞および山形放送(YBC)とも結びつきが深かったが、2007年(平成19年)6月に山新グループを脱退。 山形県におけるUHF帯での第2波割当に際して19件の申請があり、旧山形2区選出の松沢雄蔵衆議院議員(当時)が調停役となり一本化調整を行い新聞社系など6者に各7%、9者に各2.5%、3者に各2%、県議会関係で計10%、調停役の松沢が役員となる外部人材への分配を視野に入れた保留株を含める「一任分」として19.5%の出資比率としたが、その後松沢が一任分19.5%の所有権を主張し裁判に発展し1974年(昭和49年)に一任分の大半を地元銀行4行に中立株として配分し和解に至った[4]。 以前は鶴岡市と新庄市にも支局を開設していた。 1970年(昭和45年)の開局以来使用されているロゴマークは、小文字の「y」を具現化した社章、略称の「YTS」のロゴマークも全角と半角状のロゴマークをそれぞれ使用[注釈 1]。社名のロゴマークは、山新グループ時代の名残でグループ共通の明朝体調のロゴタイプを使用。なお、1990年代まで自主制作のニュース番組[注釈 2]では、独自仕様の略称のロゴマークが使用されていた。 また、1996年(平成8年)10月から2003年(平成15年)9月末までは、テレビ朝日ネットワークのシンボルマークを略称及び社名のロゴマークに併記していた。 地上デジタル放送の画面上におけるウォーターマークは、「YTS 5ch」で表示している。 1999年(平成11年)9月1日、翌2000年(平成12年)4月の開局30周年を控えて、イメージキャラクター「みるるん星人(みるるにあんず)」が誕生した。 核となる緑のみるるん星人の名前は「みるるん@あっと」で、「みるるん星」からやってきた宇宙人という設定である。なお「みるるん星」は宇宙の彼方Y38星雲にあることになっており、男女の区別もない。他に仲間として、妖精型の「みにみる」達(「みにみる@ちゃっと」、「みにみる@どっと」、「みにみる@さいと」、「みにみる@ひっと」)、アニマル型の「みるるん@みるぽっち」が設定されている。キャラクター群は、金曜23時10分から放送されている「みないと」の紙芝居形式のコーナー「みるるん@劇場」で起用されているほか、番組公式サイトでも紹介されている。関連商品としては飲料水「みるパインサイダー」(山形県酒類卸株式会社)や、菓子「たべてみるるん」(杵屋本店)などが販売されている。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
概要
本社・支社
本社・演奏所:山形県山形市城西町5丁目4-1(〒990-8511)
城西町は「しろにしまち」と読む。開局当初の住所は、山形市砂塚70番。
支社
庄内支社: 山形県酒田市中町2丁目6-17 山形共立酒田ビル3階(〒998-0044)
置賜支社:山形県米沢市門東町3丁目3-1 米沢共立ビル3階(〒992-0039)
仙台支社:宮城県仙台市太白区あすと長町1丁目3-15 東日本放送内(〒982-8505)
東京支社:東京都中央区銀座6丁目14-20 香蘭社ビル10階(〒104-0061)
大阪支社:大阪府大阪市北区堂島2丁目1-31 京阪堂島ビル4階(〒530-0003)
ロゴマーク
イメージキャラクター
沿革.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}
出典検索?: "山形テレビ"
本社・演奏所(2011年8月27日撮影)
注意事項:各年別の番組表を記載する際は、Wikipedia:信頼できる情報源に基づいた出典を提示し、きちんとした表に纏めて下さい。いずれ誰かが加筆するだろうという理由で空の表を追加する行為は、絶対にしないで下さい。
1968年(昭和43年)
8月 - 山形県にUHF波の民放第2局の周波数割り当て。
10月 - 予備免許交付(山形局)[5]。
1969年(昭和44年)
4月 - 予備免許交付(鶴岡局)[5]。
11月 - 日本民間放送連盟(民放連)加盟[5]。
12月1日 - サービス放送開始(鶴岡は1970年(昭和45年)1月より開始)。山形市内では一部折り込みで月間番組表が配布され、当時は昼間に放送休止時間が存在した。
1970年(昭和45年)4月1日 - 山形県内2番目のテレビ局として開局。同時にカラー放送開始。
1972年(昭和47年)4月1日 - 全日放送を開始。この日から、ニュース映像を完全カラー化。
1979年(昭和54年)- 新館・スタジオ棟完成。
1982年(昭和57年)- 開局10周年を記念して倉田まり子『やまがたのうた わたしのまち / ふるさとの径』(非売品シングル)を制作・放送。両面ともたかたかし補作詞(作詞はA面=中川真由美、B面=木内悦子)、井上忠夫作曲、青木望編曲。
1984年(昭和59年)4月1日 - CMバンク導入。
1987年(昭和62年)7月 - 『時を刻んで 山形テレビの軌跡』を発行(山形テレビ社史編纂委員会 編、493ページ)。
1990年(平成2年)9月1日 - 音声多重放送開始。
1993年(平成5年)4月1日 - テレビ朝日系列のフルネット局となる(後述)。
1997年(平成9年)8月 - マスター(主調整室)とノンリニア対応のCMバンクと番組バンクへ更新[5]。
1998年(平成10年)4月 - 文字多重放送・データ放送 (ADAMS) 開始[5]。
2005年(平成17年)6月 - 本社前に地上デジタル放送対応の増築棟と送信用鉄塔・YTSタワーが竣工[6]。
2006年(平成18年)
3月20日 - 地上デジタル放送対応のマスター更新(東芝製)。
6月1日 - 地上デジタル放送開始。
2011年(平成23年)7月24日 - アナログ放送終了。
2017年(平成29年)10月6日 - テレビ朝日ホールディングスによる持分法適用関連会社化(青森朝日放送、長野朝日放送も同様)[7][注釈 3]。
2020年(令和2年)4月1日 - 開局50周年。
2021年(令和3年)6月1日 - SDGs宣言を発表。6月29日には、SDGメディア・コンパクトに加盟[9]。
ネットワークの移り変わり
1969年(昭和44年)10月27日 - 取締役会席上で執行部がフジテレビジョン(フジテレビ)をネット局にすると決定[10]。