山川 方夫
(やまかわ まさお)
山川方夫(1964年)
誕生山川 嘉巳
1930年2月25日
日本、東京府東京市下谷区上野桜木町
死没 (1965-02-20) 1965年2月20日(34歳没)
日本 神奈川県中郡大磯町
墓地妙覚寺
山川 方夫(やまかわ まさお、本名:山川 嘉巳〈やまかわ よしみ〉[2]、1930年(昭和5年)2月25日 - 1965年(昭和40年)2月20日)は、日本の小説家。 「三田文学」を編集し、その後自らも筆を執り『日々の死』『その一年』『海岸公園』などの短編集を発表。繊細で都会的な作風によって、敗戦後の青春と死の不条理を自伝的に描いた。『お守り』の翻訳が米「LIFE」誌に掲載されるなど将来を嘱望されたが、交通事故により34歳で死去。没後『愛のごとく』などが出版された。 ショートショートでも活躍し、『お守り』のほか、国語教科書に採用されることの多い『夏の葬列』がとりわけ知られている。 東京市下谷区上野桜木町(現在の東京都台東区上野桜木町)にて、日本画家山川秀峰の長男として生まれ、品川区下大崎(現在の品川区東五反田)に育つ。 1936年、慶應義塾幼稚舎に入学。1942年、慶應義塾普通部に進学。1944年、神奈川県中郡二宮(現在の二宮町)の家に疎開。同年8月より普通部を休学。敗戦を二宮の家で迎える。1945年4月普通部3年に復学[3]。1947年、慶應義塾予科文学部に入学。在学中に学制改革を経て慶應義塾大学文学部仏文科に進む。1952年に卒業。卒論はサルトル。 慶應義塾大学大学院文学研究科仏文専攻に入学。『三田文学』に参加。1953年、大学院中退。1954年、田久保英夫、桂芳久と共に第3次『三田文学』を創刊。新人発掘に力を注ぎ曽野綾子、江藤淳、坂上弘などの作品を掲載する。1956年、編集を退く。 1958年7月、『演技の果て』で第39回芥川賞(1958年上半期)の候補となる。1959年1月、『その一年』『海の告発』で第40回芥川賞(1958年下半期)の候補となる。 1960年12月21日発売の『ヒッチコック・マガジン』1961年2月号が特集「日本ショート・ショート・傑作集」を組む。山川は『箱の中のあなた』を執筆した。『お守り』を『宝石』に発表する。後に日本国外の雑誌に翻訳される。 1961年7月、『海岸公園』で第45回芥川賞(1961年上半期)の候補となる。 1962年から1963年にかけて『ヒッチコック・マガジン』で、『夏の葬列』などのショートショート『親しい友人たち』を連載。同じ頃、寿屋(現在のサントリー)のPR誌『洋酒天国』の編集に関与。 1964年1月、『クリスマスの贈物』で第50回直木賞(1963年下半期)の候補となる。同年5月、聖心女子大学国文科を卒業して大学院在学の傍ら母校の湘南白百合学園の講師になったばかりの生田みどり(1942年生まれ)と結婚[4]。
概要
来歴
生い立ち父の山川秀峰
小説家として神奈川県中郡二宮町の自邸。吉田五十八の設計により山川秀峰の自宅として建てられ、方夫に引き継がれた