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出典検索?: "山崎泰"
日本の政治家山崎 泰やまざき たい
生年月日 (1961-08-01) 1961年8月1日(62歳)
出生地東京都新宿区
出身校早稲田大学法学部
早稲田大学大学院法学研究科
現職税理士、行政書士
所属政党(日本新党→)
(無所属→)
(無所属クラブ→)
(無所属の会→)
日本維新の会
称号法学修士
公式サイト ⇒山崎たい【やまざきたい・山崎泰】 公式ホームページ
東京都議会議員
選挙区新宿区
当選回数2回
在任期間1993年6月 - 2000年11月
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山崎 泰(やまざき たい、1961年8月1日 - )は、日本の政治家、実業家、税理士。 東京都新宿区出身。私立葵幼稚園(新宿区榎町)、新宿区立市谷小学校(新宿区市谷山伏町)、新宿区立四谷第二中学校(新宿区左門町)、開成高等学校、早稲田大学法学部、早稲田大学大学院法学研究科修士課程(法学修士)修了。 松下政経塾に第7期生として入塾、松下電器産業での工場実習、系列販売店での販売実習、フィリピン・ネグロス島での海外実習、選挙実践研修を経験。関西研修では、松下記念病院に入院中の松下幸之助を訪ね、面会している。
来歴
都政進出まで
1993年の東京都議会議員選挙(新宿区選出)に日本新党公認で立候補し、直後の7月に国政での政権交代を果たす日本新党ブームの追い風を受け、新人ながらトップ当選。寺山智雄(当時25歳・現NPO団体理事)、手塚仁雄(当時26歳・現衆議院議員)、大澤昇(当時28歳・元東京都議会議員、元都議会民主党幹事長)に次ぐ、31歳で都政に進出。 都議在職中には、都議会財務主税委員会副委員長、都議会予算特別委員会委員などを務めた。1995年12月の日本新党解党、新進党結党に伴う都議会各会派の変更の際には、中山義活(元衆議院議員・元民主党・内閣総理大臣補佐官)や田中良(元東京都議会議長・現杉並区長)らと都議会新進党に一時加盟したものの、間もなく山崎のみ脱退し無所属になった。 当時の松下政経塾出身の都議会議員には、山田宏(参議院議員・元衆議院議員・前杉並区長)、松原仁(衆議院議員・民主党)、田端清
都議在職中
1997年の東京都議会議員選挙では、無所属(民主党・太陽党推薦)で再選後、都議会無所属クラブ政務調査会長をつとめる。その後、都議会無所属クラブ幹事長を3期にわたって務めた。
都議会無所属クラブのメンバーには三浦正勝(三鷹市選出)、藤川隆則(小金井市選出)、田島和則(江戸川区選出・後に自民党に移籍)、沢口俊雄などがいた。
衆議院に無所属の会が結成されたことに伴い、椎名素夫、堂本暁子(元参議院議員・前千葉県知事)、中田宏(元衆議院議員・元横浜市長)との関係から、無所属の会に入党。都議会文教委員長時には、東京都青少年健全育成条例改正の成立に関与。その他、初代東京都税制調査会委員なども務めた。
また山崎泰の秘書・スタッフ出身の地方議員、国会議員は、元東京都議会議員猪爪まさみ(民主党・新宿区)、元東京都議会議員伊藤正樹(民主党・葛飾区)、新宿区議会議員志田雄一郎、新宿区議会議員小野憲一郎、元新宿区議会議員俵正、元新宿区議会議員川出昭彦(国民新党)、衆議院議員中山展宏(自由民主党)などがいる。
都議在職中は、鈴木俊一・青島幸男・石原慎太郎の3代にわたる知事と都議会で論戦を行う。鈴木俊一知事時代には、引継ぎを控えた知事任期の最終年度の予算編成のあり方に疑問を呈して、話題を呼ぶ。青島幸男知事時代には、経営破綻した信用組合への公的資金導入に、都議会新進党を代表して反対するも、予算特別委員会では一票差で敗れ、その後の住専はじめとした金融機関への公的資金導入を阻止することが叶わなかった。石原慎太郎知事時代には、銀行への外形標準課税導入に対して法的観点から反対し、予算委員会では唯一、銀行等の訴訟に敗訴する可能性を示唆したことがマスコミ等でも大きく取り上げられた。 都議2期目在職中の2000年11月22日、東京信用保証協会への口利きを巡る出資法(仲介手数料の5%制限)違反容疑で、私設秘書(大塚雄司元建設大臣の元秘書)や、何れも当時衆議院議員だった佐藤茂樹(公明党)、吉田公一(民主党)、西川太一郎(保守党)の政策秘書始め、多くの国会・東京都政関係者が東京地検特捜部に摘発された。また本事件における東京信用保証協会にいわゆる口利きをした議員数は、国会議員・地方議員併せて450名以上にも上り、その総数は10,000件以上ということが社会問題になる中、多くの現職都議が事情聴取を受けるなかで、党派に属していないのは無所属の山崎のみであったことから、地元自治会はじめ3,500名以上の嘆願署名が寄せられ、東京地方裁判所に提出された。第1審の東京地裁では、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}自らの口利きは1件もないことが裁判過程を通じて明らかにされたが、自らの私設秘書が金融紹介ブローカーと共謀して口利きをしていたことが判明[要出典]、秘書の口利きといえども、事務所責任者として法的責任とともに政治的・道義的責任をとると会見、東京都議会議員を辞職した。裁判過程では、摘発された私設秘書と共謀した金融紹介ブローカーが、福山哲郎参議院議員の紹介による京都府議会議員の叔父と称する人物であったことなども明らかになり、さらなる情状酌量の余地も見られたが、都議会議員辞職を撤回することはなかった。
事件