山尾 悠子(やまお ゆうこ、1955年3月25日[1] -)[2]は、日本の小説家、幻想文学作家、歌人。日本文藝家協会会員。岡山県岡山市出身。
澁澤龍彦経由でシュールレアリスム系の芸術に強い影響を受けている[3]。クールかつ詩的な文体で幻想的な別世界を創造し、惜しげもなくそれを崩壊させるというパターンを繰り返し、カタストロフに満ちた残酷で美しい作品を執筆した[3][4]。寡作で知られ[5]、1985年以降作品の発表が一時途絶したが、1999年に執筆を再開している。 幼少期にC・S・ルイスの子ども向けファンタジー『ナルニア国物語』シリーズ最終巻『さいごの戦い』[6]を読み、「敵も味方ももろともに暗い世界へと崩壊していくイメージ」に大きな衝撃を受ける[7](山尾は『ナルニア国物語』は別だが、ファンタジー読者ではないと述べている)。 地元の同級生に金原瑞人(ヤングアダルト評論・英米文学翻訳者)がいる。岡山県立岡山操山高等学校に進学。高校までは泉鏡花、谷崎潤一郎、岡本かの子などの全集を読んだ[8]。 同志社大学文学部国文科[9]に進学。大学図書館で『澁澤龍彦集成』(桃源社)を手に取り、異端文学に興味を持つようになる[8]。「黒と緑で装丁された箱も内容も衝撃的だった。シュールレアリスムの画家デルボーら何もかも教えられた」という[8]。塚本邦雄は、貧乏学生時代に食費を削って次々刊行される豪華本新刊を購入するほど熱烈なファンだった[7]。詩人の高橋睦郎の影響も受ける。専攻は谷崎潤一郎と泉鏡花で迷い、鉛筆を倒して鏡花に決めた。大学在学中の1973年に「仮面舞踏会」を『S-Fマガジン』(早川書房)のSF三大コンテスト小説部門(のちのハヤカワ・SFコンテスト)に応募して選外優秀作に選ばれ、1975年11月号の「女流作家特集」で掲載され20歳でデビューした[10]。 その後、山陽放送に勤務しテレビ制作部で美術を担当するかたわら[7]、『S-Fマガジン』、『奇想天外』(奇想天外社)、『SFアドベンチャー』(徳間書店)、『小説ジュニア
経歴
日本SF作家クラブのメンバーとして小松左京、星新一、筒井康隆、手塚治虫、永井豪らに刺激を受け、小松から「みずみずしく、深みのあるSF感覚」と高く評価された[8]。なお、2020年9月時点で、日本SF作家クラブの会員一覧に山尾の名前はない。
山尾作品はSFよりむしろ伝統的な幻想小説といった趣であったが、作家の野阿梓いわく、当時の文学には山尾のような作品を受け入れる媒体はなかったようである[11]。SFというジャンルでは架空世界を描く幻想小説を拒む編集者もいたため、山尾は「私の小説はSFでは場違いではないか、現代詩から出発していればと思っていた」と述べている[8]。1979年に退職して執筆に専念し、1980年には書き下ろしの長編第1作『仮面物語』を上梓、若いころから短歌も作っており、1982年には唯一の歌集『角砂糖の日』を刊行[12]、1985年以降は作品発表が途絶え、徐々に伝説的な作家と見なされていく。