山国川
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山国川
中津川との分岐点(大分県中津市)
奥を左から右に流れるのが山国川。手前は派川の中津川。


水系一級水系 山国川
種別一級河川
延長56 km
平均流量20.81 m³/s
(下唐原観測所 2004年)
流域面積540 km²
水源英彦山(大分県中津市)
水源の標高1,200 m
河口・合流先周防灘
(大分県中津市・福岡県築上郡吉富町)
流域 日本
大分県福岡県
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山国川(やまくにがわ)は、大分県福岡県の県境付近を流れる、一級水系山国川水系の本川。福岡県と大分県を分ける河川として知られている。
地理

大分県中津市山国町英彦山(ひこさん)付近を源流として南東方向に流れ、中津市山国町守実付近で北東方向に90度近く向きを変え中津市耶馬溪町、中津市本耶馬渓町と続き、中津市三光に入ると福岡県築上郡上毛町と接す。中津市と福岡県築上郡吉富町の県境に架かる山国橋付近で二手に分かれ、中州である「小祝」の東側は中津川と名を変える。

上・中流域の渓谷は耶馬渓と呼ばれ、景勝地として知られている。青の洞門や猿飛の甌穴群など急流による渓谷が多く、観光客も多い。大井手堰から上流は1923年(大正12年)に名勝に、鮎帰りの滝から上流は、1950年(昭和25年)に「耶馬日田英彦山国定公園」にそれぞれ指定されている[1]。また、上中流域では11月後半の紅葉の季節は絶景である。

支流津民川を利用した「津民川河川プール」が、平成元年度手づくり郷土賞(生活の中にいきる水辺)受賞。

九州一の急流河川として知られ、一度大雨が降ると大量の水が下流へ流れることから豊水渇水の差が極めて大きい不安定な特性を持っている[2]
歴史

平安時代には御木川(みけがわ)と呼ばれた。その後は地域によって、高瀬川、広津川、小犬丸川等と呼ばれていた[1][3]高瀬川という名称は現在の中津市高瀬地区、広津川という名称は現在の吉富町広津地区にそれぞれ由来する[4]

1600年(慶長5年)に細川忠興が中津城に入封すると、金谷堤を築造して当時の山国川の本流であった大家川(おおえがわ)を締め切って中津城の外堀として利用し、当時派川であった中津川を本流とした。その後、1655年(明暦元年)及び1669年(寛文9年)の2度の洪水によって新たな派川が生じ、本流との間に中州(小祝島)ができた[3]。江戸時代、山国川の河口域は高瀬川と呼ばれており、このうち、中州(小祝島)の中津城側の川(現在の中津川)は表川や中津川と、京泊側の川(現在の山国川)は裏川や小犬丸川等と呼ばれた[1]。江戸時代には、新しく生じた川(現在の山国川)の水量は少なく、現在の中津川が依然として本流であったが、1889年(明治22年)の洪水で流量が逆転し、現在のように山国川が本流となった[4]

明治に入ると、この川の総称はいったん中津川に決まりかけたが、1875年(明治8年)12月23日小倉県により山国川とすることが布達された[1]。山国川という名は、上流の耶馬渓がかつて「山国の谷」「山国渓」と呼ばれていたことに由来する[4]

1948年(昭和23年)から国の直轄事業による改修工事が行われ、1966年(昭和41年)に河川法の施行に伴い一級水系に指定された[1]

1992年10月15日、大分県と山国川流域市町村によって山国川流域サミットが開催された。開催日の10月15日を「山国川の日」として定めた[5]
流域の自治体
大分県
中津市
福岡県
築上郡上毛町吉富町
主な支川・派川

上流から下流の順に記す。

上志川


金吉川

山移川

折戸川


津民川

三尾母川

跡田川

屋形川

友枝川

黒川

中津川(派川)

主な橋

上流から下流の順に記す。

中津留橋
[6]

第二山国川橋

津民大橋

城井橋

馬渓橋 - 石造5連アーチ橋。中津市指定有形文化財

早瀬橋

七仙橋

羅漢寺橋 - 石造3連アーチ橋。大分県指定有形文化財。

羅漢寺大橋

洞門橋

耶馬渓橋 - 石造8連アーチ橋。大分県指定有形文化財。

新大平橋

三原橋


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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