山名 熙貴(やまな ひろたか、生年不詳 - 嘉吉元年6月24日(1441年7月12日))は、室町時代の武将、守護大名。石見守護。山名氏家の子。子に娘(大内教弘室)、娘(細川勝元室)。官位は中務大輔。
室町幕府の番衆を務め、永享9年(1437年)に石見守護に補任されたが、嘉吉元年(1441年)、6代将軍足利義教と共に赤松満祐の屋敷に訪れた際に義教と共に殺害された(嘉吉の乱)。同族の山名宗全・山名教之・山名教清らが満祐討伐で功績を挙げ、石見は教清が獲得した。
熙貴の2人の娘は宗全に養女として引き取られ、それぞれ大内教弘、細川勝元に嫁いだ。また、宗全の息子勝豊が熙貴の養子となり因幡守護を継いだとされているが、熙貴は因幡守護に就いていないため、同族の因幡守護山名熙高と混同されている可能性がある。
参考文献
石田晴男『戦争の日本史9 応仁・文明の乱』吉川弘文館、2008年。
川岡勉『山名宗全』吉川弘文館(人物叢書)、2009年。
関連項目
山名氏
更新日時:2019年3月6日(水)15:52
取得日時:2022/03/29 17:48