凡例山名尚之
時代室町時代後期 - 戦国時代
生誕不明
死没不明
別名六郎、通称:相模六郎
戒名高源寺殿惟中伯公大禅定門
官位相模守
幕府室町幕府 伯耆守護
氏族山名氏
父母父:山名豊之、母:大舘持房娘
兄弟政之、尚之、大舘尚氏正室など
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山名 尚之(やまな ひさゆき)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将・守護大名。伯耆国守護。 伯耆守護・山名豊之の子として誕生。
生涯
長享2年(1488年)頃に伯耆へ下向、翌延徳元年(1489年)正月に山名新九郎・小太郎の乱を鎮圧し、反守護勢力の駆逐を行った。尚之の被官衆については伯耆衆と呼ばれ、主に伯耆中部から西部にかけて基盤を持っていた国人達の名が見える。ただ、河村郡を始めとして尚之の支配が及びにくい地域も存在しており、その基盤は不安定であった。そのため、尚之が伯耆から離れていた明応2年(1493年)7月には再び戦乱が起こる事態へと発展し、一族の山名伊豆守が討死した。
尚之の消息は明応3年(1494年)9月24日を最後に途絶える。晩年の尚之は尼子経久の支援を受けた反守護勢力の山名澄之と守護職を巡って争っていたと言われ、この争いに敗れた尚之は永正3年(1506年)以前に没落した。没年は不明だが系図には「於八幡山生涯(害)」とあり、尚之の最期は澄之党によって殺害されたか、自刃に追い込まれたと考えられている。
出典
高橋正弘[要曖昧さ回避]『因伯の戦国城郭 通史編』(自費出版、1986年)
新編倉吉市史編集委員会『新編倉吉市史 第二巻 中・近世編』(倉吉市、1995年)
鳥取県教育委員会『鳥取県中世城館分布調査報告書 第2集(伯耆編)』2004年
更新日時:2021年10月2日(土)01:26
取得日時:2021/11/28 00:04