山吉行盛
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 凡例山吉行盛
時代室町時代前期 - 中期
生誕永徳3年(1383年
死没長禄3年(1459年
別名通称:孫次郎
官位伊予守
氏族山吉氏
父母父:山吉義盛
母:上杉憲将娘?諸説あり定かではない[1]
兄弟義定、行盛
妻正室:上杉憲栄娘?諸説あり定かではない[2]
子盛忠、久盛、郁姫(長尾頼景室)、清姫(深沢忠綱室)、大多和義長
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山吉 行盛(やまよし ゆきもり)は、室町時代前期の武士
生涯

山吉氏として確実に史料に現れる初めての人物であるが、その系譜には名前が見えない。当時、山吉氏は長尾氏の被官であった(「蒲原郡段銭帳」)。応永29年(1422年)、蒲原郡代として黒川基実に、黒川氏の領内での検断権と羽越国境の鼠か関で徴収する関銭の権限を与えた安堵状を発給している。

なお、行盛が登場する史料はこの1点のみである。
参考文献

三条市史編修委員会『三条市史 上巻』、1993年

脚注[脚注の使い方]^ 「上杉系図大概」等上杉系図では憲将の子は久庵一子のみとされるが、『山吉家家譜』では山吉義長(同系譜では別名久盛とされる)の母が憲将の娘とされている。ただし一方で、山吉氏の系譜を考察している『三条市史上巻』(1993年、三条市史編修委員会)などは、戦国時代以前の山吉家の系譜の記事は信憑性がないと考察している。
^ 上記と同じく定かではない


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