山口貯水池
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山口貯水池

左岸所在地埼玉県所沢市山口
位置.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度46分40秒 東経139度24分55秒 / 北緯35.77778度 東経139.41528度 / 35.77778; 139.41528
河川多摩川水系多摩川
ダム湖狭山湖【ダム湖百選
ダム諸元
ダム型式アースダム
堤高33.5 (35) m
堤頂長716 (690.9) m
堤体積2,372,000 (1,404,000)
流域面積7.2 (7) km²
湛水面積189 (189) ha
総貯水容量20,649,000 (20,649,000) m³
有効貯水容量19,528,000 (19,528,000) m³
利用目的上水道
事業主体東京都
施工業者(元)ダム事業者直営(再)鹿島建設間組清水建設
着手年/竣工年1927年/1934年
出典[1]
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県立狭山自然公園内に展示中の1934年当時に作られた高欄と親柱 平成の耐震工事後の堤体に作られた歩行者通路 景観を楽しむ一般客で賑う展望デッキ 天候の良い日には展望デッキから富士山が眺められる

山口貯水池(やまぐちちょすいち、英称:Yamaguchi Reservoir)は狭山湖(さやまこ、英称:Sayama Lake)の通称でよばれる、埼玉県所沢市入間市にある1934年(昭和9年)完成の東京都水道局水源管理事務所村山・山口貯水池管理事務所が管理する人造湖である。目次

1 概要

2 歴史・経緯

2.1 戦時中の補強工事

2.2 平成の耐震工事


3 自然

4 交通アクセス

5 脚注

6 関連項目

7 外部リンク

概要

山口貯水池は多摩川羽村市)の小作取水堰(小作・山口線)及び、羽村取水堰(羽村線)からの導水を主要な水源としているが、一部金堀沢・大沢などの天然の湧き水が流れ込む。湖の水は東村山市東村山浄水場武蔵野市境浄水場へと導かれ、東京都の上水道として供給される。

埼玉県所沢市・入間市に位置しているが、東京都水道局管理のため埼玉県の上水道としては供給されていない。北岸には根古屋城の城跡が存在する。隣接する東京都東大和市村山貯水池(多摩湖)も同じ理由で作られた人造湖1927年(昭和2年)完成。

羽村取水堰

小作取水堰

歴史・経緯

東京市の人口増加に対応した水源確保のため、埼玉県入間郡山口村(現在の所沢市)に1927年(昭和2年)に、東京市水道の第一次拡張事業第2期工事で認可され着工、7年の歳月をかけ建設された。

貯水池は狭山丘陵柳瀬川浸食谷を活用して造られ、勝楽寺(山口村の大字)と縄竹(宮寺村の字、現・入間市)は集落全体が離村した。工事にあたり、村山貯水池の資材運搬と導水管(羽村村山線)工事の際に敷設し廃線となった羽村-横田間の軽便鉄道の線路再敷設と横田-山口貯水池堰堤間の延伸工事を1928年に行い、1929年から砂利運搬に利用した。廃線跡の一部は武蔵村山市は野山北公園自転車道として、羽村市は神明緑地として整備された。
戦時中の補強工事

第二次世界大戦中、米軍などの空襲による破壊に備えるため、1943年から1944年にかけて羽村山口軽便鉄道を復活させ砂利を運び、既存の堰堤の嵩上げと自然石とコンクリートによる耐弾層が施工された。高欄や親柱はこの時点で耐弾層に埋められた。
平成の耐震工事

1995年(平成7年)に起きた阪神・淡路大震災を契機とし、1998年(平成10年)から2002年(平成14年)11月にかけて堤防と取水塔の補強工事が実施され、また堤体の上流側と下流側に腹付け盛土を行い堤体の断面規模を大きくする耐震強化工事を実施した。


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