山口百恵
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やまぐち ももえ
山口 百恵
本名三浦 百惠(みうら ももえ)
(旧姓:山口)
別名義横須賀 恵(よこすか けい)
(作詞時のペンネーム)
生年月日 (1959-01-17)
1959年1月17日(65歳)
出生地 日本 東京都渋谷区恵比寿
出身地 日本 神奈川県横須賀市[1]
身長158 cm
血液型A型
職業元歌手、元女優キルト作家
ジャンルテレビドラマ
映画
歌謡曲
活動期間1973年 - 1980年
配偶者三浦友和(1980年 - )
著名な家族三浦祐太朗(長男)
三浦貴大(次男)
牧野由依(義娘)
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山口 百恵(やまぐち ももえ、1959年昭和34年〉1月17日[2][1] - )は、日本の元歌手、元女優で、現在フリーランスのキルト作家として活動。芸能活動時の所属事務所は、ホリプロでレコード会社がCBSソニーに所属していた。

本名:三浦 百惠(みうら ももえ、旧姓:山口)。現役時代にはペンネームの「横須賀恵」で自曲の作詞を行い、芸能界引退後には本名の三浦百恵名義で他の歌手への作詞を行っている。夫は俳優の三浦友和、長男はシンガーソングライター・俳優の三浦祐太朗、次男は俳優の三浦貴大。長男の妻は声優・歌手の牧野由依

以下、氏名の表記は特記を除き「百恵」で統一する。
略歴
生い立ち

東京都渋谷区東京都立広尾病院で生まれた。[2][3]横須賀市立鶴久保小学校卒業。横須賀市立不入斗中学校[4]時代に、スター誕生!に出場。日出女子学園高等学校卒業。

父親には別の家庭があり、子供もいた。戸籍には「認知」の2文字が置かれていた。百恵がこの事実を知ったのは、高校へ入学してすぐだった。既に芸能界入りしており、週刊誌が戸籍謄本を「出生の秘密」と題して掲載した。百恵は父について「私には、父はいない。一つの肉体としてのあの人が地球上に存在していたとしても、私はあの人の存在そのものを否定する。」(『蒼い時』)と記している。幼少時を神奈川県横浜市瀬谷区、4歳のときから中学生でデビューするまで横須賀市で過ごした。世帯数4世帯の木造アパートの2階が住居で風呂は共同風呂であった。父が来るときは、常に大きな黒い鞄を持ってやってきて滞在した。父は異常なまでに百恵を可愛がり、欲しいものは何でも買い与え、何処でも行きたい場所に連れて行った。しかし、金銭を浪費し、母が何度も裏切られる場面を目にし、母が内職で生活を支えた。母は、高校の入学金の工面を父に相談したが、受け入れられなかったことから、子供を差別した理由で父との別離を決心した。中学校の入学直前の春には、父が目の前に立ちはだかり、「中学に入ったからといって、ボーイフレンドとか何とか言って、男と腕でも組んで歩いたりしたらぶっ殺すからな」と言われる。この時の、娘を娘としてでなく自分の所有する女を見る動物的かつ不潔な視線が百恵を父から隔絶した[5]
芸能界デビュー

1972年12月、オーディション番組『スター誕生!』で、牧葉ユミの「回転木馬」を歌い準優勝[5]20社から指名を受ける。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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