やまぐちむら
山口村
馬籠宿
廃止日2005年2月13日
廃止理由編入合併
長野県山口村、岐阜県坂下町、川上村、加子母村、付知町、福岡町、蛭川村→岐阜県中津川市
現在の自治体中津川市
廃止時点のデータ
国 日本
地方中部地方(甲信越地方)
都道府県長野県
郡木曽郡
市町村コード20431-5
面積24.67 km2
総人口2,044人
(推計人口、2005年2月1日)
隣接自治体長野県南木曽町
岐阜県中津川市、坂下町
村の木ツバキ
村の花ムラサキツツジ
山口村役場
所在地〒399-5192
長野県木曽郡山口村山口1605番地1
中津川市山口総合事務所跡(旧・山口村役場)
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度33分25秒 東経137度32分39秒 / 北緯35.556944444444度 東経137.54416666667度 / 35.556944444444; 137.54416666667 (山口村)
山口村(やまぐちむら)は、長野県南西部にあった木曽郡の村である。島崎藤村の出生地である馬籠宿で有名である。
2005年(平成17年)2月13日、岐阜県中津川市に編入合併した。県を越えた合併(越県合併)は1959年(昭和34年)1月1日に栃木県足利郡菱村が群馬県桐生市へ編入されて以来46年ぶりのことである。 長野県南西部に位置し、木曽川を挟んで岐阜県に接する村だった。地形的にも村の大半が隣接する中津川市と繋がる形となっており、そのため、長野県よりも岐阜県との繋がりが昔から深く、それが後の越境合併に至る最大の要因になった。 村の東部には標高1,000m以上の山々が連なり、西部には木曽川の河岸段丘が広がり集落が点在する。村南部にある旧中山道馬籠宿は文豪島崎藤村の出身地として知られ、観光名所となっている。 中世までは美濃国であったが、以降信濃国に編入される。江戸時代は尾張藩の領地となり廃藩置県を迎えた。
大字・小字
大字:山口
小字:無し
大字:神坂(旧神坂村馬籠)
小字:無し
地理
山:賤母山、高土幾山
河川:木曽川
歴史
神社
諏訪神社 (中津川市山口)
寺院
山口
光西寺(曹洞宗)
馬籠
永昌寺(臨済宗妙心寺派)
沿革
1871年(明治4年)
7月14日 - 廃藩置県により名古屋藩に属していた信濃国筑摩郡山口村は名古屋県に属する。
11月20日 - 名古屋県のうち信濃国分が筑摩県となったため同県に属する。
1874年(明治7年)9月7日 - 筑摩郡田立村及び山口村が合併して、山田村が発足する。
1876年(明治9年)8月21日 - 筑摩県の信濃国分が長野県に編入する。長野県筑摩郡山田村となる。
1879年(明治12年)1月14日 - 西筑摩郡発足により長野県西筑摩郡山田村となる。
1881年(明治14年)2月24日 - 山田村を分割して、長野県西筑摩郡田立村及び山口村が発足する。両村で組合村を結成する。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、山口村が発足する。組合村は存続する。
1897年(明治30年) - 田立村及び山口村の組合村を解消する。
1958年(昭和33年)10月14日 - 自治庁(現在の総務省)の裁定により、西筑摩郡神坂村の区域の内、旧馬籠村の区域である馬籠、峠及び荒町の区域を編入する。