山口彊
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官僚の「山口務」とは別人です。
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やまぐち つとむ
山口 彊
生誕長崎県
死没 (2010-01-04) 2010年1月4日(93歳没)
日本長崎県長崎市
国籍 日本
職業三菱重工業長崎造船所 艤装設計課で製図工
著名な実績被爆者、「二重被爆」の証言者
代表作

『生かされている命 広島・長崎 「二重被爆者」、90歳からの証言』 講談社、2007年
『ヒロシマ・ナガサキ 二重被爆』 (朝日文庫) 朝日新聞出版、2009年
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山口 彊(やまぐち つとむ、英語:Tsutomu Yamaguchi、1916年3月16日[1] - 2010年1月4日)は、広島長崎で2回にわたって被爆した「二重被爆者」の1人であり、2度の直接被爆が公式に初めて認定された人物である[2]
経歴

1916年、長崎県に生まれる。旧制中学校を卒業後、長崎三菱造船に入社し、艤装設計課で製図工として勤務する[1]
広島市と長崎市での被爆

1945年5月、山口は同年8月7日までの予定で広島の造船所に出張する。8月6日に広島市に原爆が投下されたとき、彊は職場への通勤途中であり、爆心地から約3キロメートルの広島電鉄江波線江波電停にいた[3] ところ、被爆した。この被爆で彼は左鼓膜が破れ、左上半身に大やけどを負った[4]。彊は妻と子供に会うため、国鉄山陽本線己斐駅から翌日の救援列車に乗って長崎へ帰った[3]

8月9日長崎市に原爆が投下され、長崎三菱造船の事務所で再び被爆する[3]。妻と子供も原爆の後遺症とみられる癌のため、2005年に息子が、2008年に妻がそれぞれ亡くなった[4]
戦後

終戦後、長崎三菱造船を解雇され、長崎に駐留していたアメリカ海兵隊第5大隊に通訳として従事する。その後中学校の英語教員を7年間務めた後、三菱造船に復職し、定年までタンカーの設計を行った[1]

2006年記録映画『二重被爆』に出演した(後述)。彼の原爆手帳には2度の直接被爆が記載されている。1957年8月に手帳が交付されたとき、両方の被爆が記載されていたが、後に更新された時に広島市の記載が消去された。2009年1月になって追加記載を申請し、広島市の記載が復活した[2]

2009年3月に、原爆の後遺症とみられる癌にかかっていることをインタビューで明かした[4]

2009年12月22日には、米国の映画監督ジェームズ・キャメロンが病室を訪問し、原爆をテーマにした映画の構想について話した。それを聞いた彊は英語で「私の役目は終わった。後はあなたに託したい」と語ったという[5]

2010年1月4日午前5時38分、胃がんのため長崎市内の病院で死去した。93歳没[6]
映画出演

2006年記録映画『二重被爆(監督:青木亮)』に出演する。この映画は山口の提案により海外上映が行われ、ニューヨーク国際連合本部コロンビア大学で上映が行われた。上映にあわせて自ら渡米し、核兵器廃絶を訴えた[7]2007年には自らの証言を綴った『生かされている命』を出版した。また、10代の頃から始めた短歌を趣味としており、1999年8月の第37回原爆忌文芸大会で長崎県知事賞を受賞している[1][7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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