山口厚
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山口篤史」あるいは「山口敦史」とは別人です。

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生年月日 (1953-11-06) 1953年11月6日(70歳)
出生地 日本 新潟県
国籍 日本
出身校東京大学法学部
最高裁判所第一小法廷判事
任期2017年2月6日 - 2023年11月5日
任命者明仁第3次安倍第2次改造内閣
前任者桜井龍子
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山口 厚(やまぐち あつし、1953年11月6日 - )は、日本法学者刑法)。元最高裁判所判事[1]東京大学名誉教授、早稲田大学名誉教授。
人物

大学3年次に司法試験に合格。団藤重光の講義を通じて刑法と出会い、恩師である平野龍一との出会いを通じて、研究者としての途を歩むことになった[2][3]

司法試験委員会委員長や日本刑法学会理事長も務めた、刑法理論研究の第一人者である。
略歴

1953年新潟県生まれ。目黒区立鷹番小学校目黒区立東山中学校卒業

1972年 - 東京教育大学附属駒場高等学校(現・筑波大学附属駒場高等学校)卒業

1974年 - 司法試験合格

1976年 - 東京大学法学部卒業

1976年 - 東京大学法学部助手

1979年 - 東京大学法学部助教授

1982年8月 - ハーバード大学ロー・スクール客員研究員(至1983年6月)

1992年 - 東京大学大学院法学政治学研究科教授

2002年まで旧司法試験第二次試験考査委員(刑法)

2006年より新司法試験考査委員(刑法)

2009年 - 日本刑法学会理事長(2015年5月まで)

2012年 - 東京大学大学院法学政治学研究科長・法学部長司法試験委員会委員長

2014年3月 - 東京大学退職

2014年4月 - 早稲田大学大学院法務研究科教授

2014年6月 - 東京大学名誉教授[4]

2016年8月 - 弁護士登録第一東京弁護士会)、桃尾・松尾・難波法律事務所

2017年1月 - 早稲田大学法学部大学院法務研究科退職

2017年2月 - 最高裁判所判事

山口は弁護士出身枠として最高裁判事となったと言われているが、日本弁護士連合会が推薦した最高裁判事の候補者には含まれておらず、実際には弁護士登録からわずか1年未満であり、実質的には法学者出身枠の最高裁判事と同様のキャリアである中で第3次安倍内閣の判断によって最高裁判事に任命された[5]。そのため慣行破りとの批判や最高裁人事の多様性といった賛成など、就任には賛否両論があった。なお、最高裁判事には、裁判官出身者6名、弁護士出身者4名、検察官出身者2名、行政官出身者2名、法学者出身者1名という出身分野による枠が存在していると言われているが、これはあくまで近年はこのような構成になっているという傾向に過ぎず、法定されているわけでもないため、枠を重視すべきではないとの指摘や、山口は弁護士枠ではなく法学者枠であって、最高裁判事の法学者枠が増えた(代わりに弁護士枠が減った)と解するべきとの指摘もある。


2017年10月22日 - 最高裁判所裁判官国民審査において、罷免を可とする票4,348,553票、罷免を可とする率7.94%で信任[6]

2023年11月5日 - 最高裁判所判事を定年退官

学説

結果無価値論者


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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