山口 剛(やまぐち つよし、1937年8月13日 - )は、日本のテレビプロデューサー。愛媛県出身[1]。東京都立杉並高等学校、早稲田大学第一文学部英文科卒業[1]。 父が内務省勤務の国家公務員という家庭に生まれる[1]。中学進学後以降、東京在住。この頃から映画に興味を持ち、ランドルフ・スコット、チャールズ・W・エリオット、ジョエル・マクリーらが主演の西部劇、ジェームズ・キャグニー、ジャン・ギャバンらが主演のギャング映画などを愛好する[1]。高校進学後は、海外ミステリ、ハードボイルドといった小説を好み、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズなどのジャズに傾倒するようになった。なお、ジャズ評論家の寺島靖国は高校時代の同級生[1]。 大学入学後、仁賀克雄・小鷹信光らとともにワセダミステリクラブの創設に関わり[1]、卒業後の1961年に日本テレビ放送網入社、当初から志望していた映画部に配属[1]。勤務の傍ら石上三登志らとともに『推理小説研究会
略歴・人物
1992年、出版部門に異動[2]し、主に映画や音楽関連書籍の編集に携わる。1998年に日テレを定年退職後、現在はフリー[3]。
ワセダミステリクラブ出身ということでミステリ研究家という一面も持ち、2000年刊行の『海外ミステリー事典』(権田萬治監修、新潮選書)にはワセダミステリクラブ以来の旧友である仁賀克雄とともに執筆者として参加。ミッキー・スピレインをめぐっては「彼に対する初期の酷評の多くは、作品に即したものではなく、今日みると的を射たものは少なく、現在では逆に評価は高まっている」と公平な視点を打ち出している[4]。
主な作品
輸入番組
ディズニーランド - 吹替演出
ミッキーマウス・クラブ - 吹替演出
テレビドラマ
火曜日の女シリーズ
喪服の訪問者(1971年)
黒いオパール(1972年)
山峡の章(1972年)
土曜日の女シリーズ
太陽にほえろ!(1974年-1975年)
大都会シリーズ
大追跡
探偵物語
大激闘マッドポリス'80
プロハンター
火曜サスペンス劇場
ハムレットは行方不明(1981年)
乱れからくり(1982年)
可愛い悪魔(1982年)
孤独な狩人(1982年)
狙われた美人キャスター(1983年)
女子高校生への鎮魂曲(1983年)
恐怖(1983年)
モナ・リザの身代金(1983年)
麗猫伝説(1983年)
嫉妬(1983年)
二人の女(1983年)
愛の牢獄(1984年)
喪服の妻たち(1986年)
見知らぬ夫(1986年)
誰かが見ている(1986年)
死ぬ前にすべき二、三の事柄(1988年)
過去からの声(1988年)
西武スペシャル 波の盆
気分は名探偵
水曜グランドロマン
バラ(1988年)
男友達(1989年)
法王庁の避妊法(1989年)
予期せぬ出来事(1989年)
九時まで待って(1989年)
弟よ!(1990年)
それでも僕は母になりたい(1990年)
小春日和(1990年)
離婚・恐婚・連婚(1990年)
いつか、サレジオ教会で(1991年)
死刑囚からの恋うた(1991年)
別れてのちの恋歌(1991年)
予言ドキュメンタリードラマ M8.5直下型東京大地震