山井大介
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山井 大介中日ドラゴンズ 投手コーチ #83
現役時代
(2009年7月19日、阪神甲子園球場にて)
基本情報
国籍 日本
出身地大阪府豊中市
生年月日 (1978-05-10) 1978年5月10日(46歳)
身長
体重179 cm
85 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り2001年 ドラフト6巡目
初出場2002年4月27日
最終出場2021年10月13日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


神戸弘陵学園高等学校

奈良産業大学

河合楽器

中日ドラゴンズ (2002 - 2021)

派遣歴


エストレージャス・オリエンタレス (2009)

コーチ歴


中日ドラゴンズ (2022 - )

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山井 大介(やまい だいすけ、1978年5月10日 - )は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手投手)、コーチ。右投右打。
経歴
プロ入り前

少年時代はボーイズリーグの「箕面スカイラーク」[1]に所属。

神戸弘陵高校時代には後にプロでチームメイトとなる玉野宏昌と同級生だった。2年秋、3年春と県大会ベスト4。同じく1学年下に元西武ライオンズ佐藤友紀がいる。

その後奈良産業大学では2年春に最優秀選手となり、大学選手権で先発も初戦敗退。3年時の同大会は2回戦で完投し(7回コールド)ベスト8。4年春は最優秀投手、ベストナイン3回。社会人野球河合楽器に入社。2001年第72回都市対抗野球大会の準決勝で勝利を挙げるなど、同社の初優勝に貢献する。しかし、同年限りで野球部が休部したため、社会人1年目だが、特例措置でドラフト対象となり、2001年のドラフト中日ドラゴンズから6巡目指名を受け入団。なお、同僚の久本祐一も4巡目指名でドラゴンズに入団している。
中日時代

2002年(1年目)にオーバースローサイドスローを併用する変則投法で、5月8日の読売ジャイアンツ戦で5回無失点に抑えプロ初勝利[2]。新人ながらシーズン31試合に登板、6勝(3敗)を挙げた。

2003年はサイドスロー固定を図ったが、逆にフォームを崩してしまい、シーズン4試合の登板に終わる。しかし、ウエスタン・リーグで最多勝を獲得。

2004年シーズン後半、オーバースローに固定して一軍に復帰、9月12日の対広島東洋カープ戦で初完封勝利を記録。最終的に2勝を記録した。終盤の好投が光ったことで西武ライオンズとの日本シリーズ第4戦では先発投手を任された。6回無失点に抑え、日本シリーズ初登板初先発初勝利を記録した。しかし、第7戦では先発のドミンゴ・グスマンがKOされた後、中継ぎとして2番手で3回途中から登板したが、アレックス・カブレラに5点のリードに広げられる2点本塁打を打たれ、1/3を投げて1失点で降板した(2点本塁打の内、もうひとつの失点はドミンゴが出した走者のため、ドミンゴの失点となる)。結果的にチームは敗れ日本一を逃した。

2005年は一軍と二軍を行き来。

2006年は右肩の痛みから初めて一軍登板なしに終わった。オフに幼馴染との結婚を発表[3]

2007年山本昌の不調から先発ローテーションの一角を任されるが、援護が少なく長らく勝ち星から見放されていた。また、序盤から突然崩れることも目立ち、波に乗れなかった。8月21日の対巨人戦に登板し、またも初回からピンチを招くが、1失点で切り抜けるとその後は無得点に抑え、2年ぶりとなるシーズン初勝利を挙げた[4]。その後は調子も安定し、稀にみる巨人及び阪神との三つ巴の優勝争いの中、9月には登板5試合で4勝1敗、防御率3.00の好成績を挙げ、自身初のセ・リーグ月間MVPを受賞した[5]クライマックスシリーズでは第2ステージ第1戦での先発予定も右肩痛再発のため回避。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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