山中慎介
[Wikipedia|▼Menu]

山中 慎介
基本情報
本名山中 慎介
通称ゴッドレフト(神の左)
階級バンタム級
身長170cm[1]
リーチ174cm[1]
国籍 日本
誕生日 (1982-10-11) 1982年10月11日(41歳)
出身地滋賀県湖南市
スタイル左ボクサーファイター
プロボクシング戦績
総試合数31
勝ち27
KO勝ち19
敗け2
引き分け2
テンプレートを表示

山中 慎介(やまなか しんすけ、1982年10月11日 - )は、日本の元プロボクサー滋賀県湖南市(旧甲賀郡甲西町)出身[2]南京都高校専修大学商学部卒業。帝拳ボクシングジム所属。元WBC世界バンタム級王者。入場曲はドラマ『龍馬伝』のテーマ曲。
来歴
アマチュア

小中学校時代は野球をしていたが、辰吉丈一郎シリモンコンをKOで下してWBC世界バンタム級王座を奪還した試合を見て辰吉に憧れ[3]、南京都高校入学後にボクシングを始める。高校時代には同学年だった李冽理(後のWBA世界スーパーバンタム級王者)と公式戦での対戦経験の他、2000年とやま国体では、決勝で当時習志野高1年生の粟生隆寛(後のWBC世界スーパーフェザー級王者、同フェザー級王者)を降しての少年バンタム級での優勝経験がある。他にインターハイ2位の経歴も持っている。当初はオーソドックスであったが、顧問の指導によりサウスポーになった[4][5]

専修大学進学後はボクシング部の主将を務めた。自身は大学卒業と同時にグローブを吊るすつもりでいたが、大学4年生時の国体で不本意な成績に終わったことからプロ入りを決意[6]。粟生が所属する帝拳ボクシングジムへ入門する。
プロ時代

2006年1月7日、東京都文京区後楽園ホールでの高橋仁(角海老宝石)戦でプロデビュー。デビュー戦は6回判定勝ち。しかし2戦目では引き分けその後苦戦しながらも勝ち進んで行く。

2010年6月20日、大阪府大阪市住吉区の住吉区民センターで日本バンタム級王者の安田幹男六島)と対戦し、7回50秒TKO勝ちを収め王座獲得に成功した[7]

2011年3月5日、岩佐亮佑セレス)と対戦し、10回TKO勝ちを収め日本王座の初防衛に成功した[8]

2011年11月6日、17戦目で世界初挑戦。東京都渋谷区国立代々木競技場第二体育館で元WBC世界バンタム級シルバー王者でWBC世界バンタム級2位のクリスチャン・エスキベル(メキシコ)とWBC世界バンタム級王座決定戦を争う。この試合は当初、既に、指名挑戦者決定戦が行われエスキベルが指名挑戦者であったが、再度、同級次期挑戦者決定戦として開催される予定だった。しかしWBCの規定では、指名試合ではなく、選択試合で新王者となった者は前王者の指名期限を継承すると定められており、同級王者のノニト・ドネアフィリピン)が王座獲得後、9ヵ月経過しても指名試合を行っていないという理由で、山中の試合が行われる前に、王者を剥奪され、試合2日前になって急遽、王座決定戦に変更となった[9]

そして試合は中盤に両者ダウンを奪い合う一進一退の攻防から主導権を奪うと第11ラウンドに猛攻を仕掛け、1分28秒TKO勝ち。無敗のまま世界王座獲得に成功した[10]。この試合では、ジムの先輩でリング禍により死去した辻昌建の名前を刺繍したトランクスで挑んだ[5]。また日本国内のボクシングジム所属の男子現役世界王者は日本ボクシング史上最多の8人になった。

決定戦で新王者となった山中は、WBC規定によりWBC世界バンタム級シルバー王者でWBC世界バンタム級1位でIBF世界バンタム級王者でもあるアブネル・マレスとの対戦義務を負うため、WBC・IBF王座統一戦の可能性を本田明彦帝拳ジム会長が示唆したが[11]、マレスがスーパーバンタム級に転向したため対戦は実現しなかった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:99 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef