山下治_(映画監督)
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やました おさむ
山下 治
生年月日 (1936-4月-15日)
1936年4月15日
没年月日不詳年
出生地秋田県
国籍日本
血液型B型
職業映画監督脚本家俳優
ジャンルピンク映画
活動期間1965年 - 1969年
主な作品
脚本
犯された白衣』監督
『新・情事の履歴書』
『情事残酷史』出演
『続日本暴行暗黒史 暴虐魔』
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山下 治(やました おさむ、1936年 - 没年不詳)は、日本映画監督脚本家俳優である[1][2][3][4]
人物・来歴

1936年(昭和11年)に生まれる。

満29歳ころの1965年(昭和40年)、『未成熟』を初監督した(クレジットは菜穂俊一[5])。菜穂俊一(本名・菜穂進)は、ナオプロダクションやワールド映画製作のピンク映画のプロデューサーを務めた人物である。同年に監督した『女の痛恨』で初めて「山下治」とクレジットされ、本格デビューした[5]

以降、約30作の作品を監督した[2][3][4]。1967年(昭和42年)12月20日、アメリカ合衆国カリフォルニア州フレズノで、山下が監督し、藤川亜紀らが出演した The Adolescent (『アドレッセント』、65年の『未成熟』と思われる)という映画が公開されている記録がある[4]。同作を米国で配給したのは、オリンピック・インターナショナル・フィルムズ(Olympic International Films)という会社である[4][6]。俳優としては同年12月、「小平事件」をモチーフに若松孝二が監督した『続日本暴行暗黒史 暴虐魔』に、「丸木戸義雄」役で主演している[3]。1968年(昭和43年)4月に公開された『情事残酷史』について、同年8月、佐藤重臣編集長時代の『映画評論』8月号に、詩人の三馬樽平が『山下治と「情事残酷史」』と題する批評で、山下と作品を紹介している[7]。このころ、中村幻児らが師事した[8]

1969年(昭和44年)1月に公開された監督作『脱獄囚の記録より 失神』を最後に、同年末にノイローゼのために映画界から姿を消す[5][9]。遺族のブログによれば、最新更新の2009年2月の時点ですでに死去していると記されている[10]

2012年(平成24年)7月現在、東京国立近代美術館フィルムセンターは、脚本に参加した『犯された白衣』を除き、山下の監督作を所蔵していない[11][12]。米国で公開された『アドレッセント』については、サムシング・ウィアード・ヴィデオ(英語版)が2007年(平成19年)に北米向けにDVDとして発売している[6]。『新・情事の履歴書』については、ハミングバード(のちのマイカルハミングバード)およびビクター音楽産業(現在のビクターエンタテインメント)が、1990年(平成2年)1月26日にVHSビデオグラムとして発売した[13]
フィルモグラフィ

文化庁「日本映画情報システム」、および日本映画データベースインターネット・ムービー・データベースに掲載されている作品の一覧である。特筆以外は監督である[2][3][4]
1965年


『未成熟』(クレジットは菜穂俊一) :出演津村冷子、製作ナオプロダクション、配給不明、1965年7月公開

『女の痛恨』 : 出演西川実樹、製作ナオプロダクション、配給不明、1965年10月成人映画指定

『肌のあやまち』 : 出演城山路子野上正義、製作ナオプロダクション、配給国映、1965年11月公開(映倫番号14230)

1966年


『初めての感触』 : 出演山村美重、製作センチュリー、配給ワールド映画、1966年2月公開(映倫番号14386)


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