山下汽船
[Wikipedia|▼Menu]

株式会社商船三井
Mitsui O.S.K. Lines, Ltd.

商船三井本社(虎ノ門ダイビル
種類株式会社
機関設計監査役会設置会社[1]
市場情報東証プライム 9104
1949年7月9日上場大証1部(廃止) 9104
1949年7月13日 - 2013年7月12日名証1部 9104
1949年7月 - 2017年5月18日福証 9104
2013年5月10日上場廃止
略称MOL(エム・オー・エル)
本社所在地 日本
105-8688
東京都港区虎ノ門二丁目1番1号
虎ノ門ダイビル
設立1942年(昭和17年)12月28日
(三井船舶株式会社)
業種海運業
法人番号4010401082896
事業内容海上輸送
旅客輸送ほか
代表者池田潤一郎(取締役会長)
橋本剛(代表取締役 社長執行役員)
田中利明(代表取締役 副社長執行役員)
資本金654億35万1028円
発行済株式総数361,885,833株[2]
売上高連結:1兆2,693億10百万円
(2022年3月期)
経常利益連結:7,217億79百万円
(2022年3月期)
純利益連結:7,088億19百万円
(2022年3月期)
純資産連結:1兆3,348億66百万円
(2022年3月期)
総資産連結:2兆6,867億1百万円
(2022年3月期)
従業員数連結:8,547名、単体:1,098人
(2022年3月31日現在)
決算期3月31日
会計監査人有限責任あずさ監査法人
主要株主日本マスタートラスト信託銀行(株)(信託口) 16.38%
(株)日本カストディ銀行(信託口) 7.16%
ステート ストリート バンク ウェスト クライアント トリーティー 505234 2.78%
主要子会社ダイビル(株) 100%
(株)宇徳 100%
商船三井ドライバルク(株) 100%
MOLケミカルタンカー(株) 100%
関係する人物三井高陽(初代社長)
佐々木周一(第2代社長)
田中市兵衛山下亀三郎
中橋徳五郎山岡順太郎
村田省蔵生田正治
芦田昭充武藤光一
外部リンクwww.mol.co.jp
特記事項:財務データ等は、特記なきものは2021年度有価証券報告書より
テンプレートを表示

株式会社商船三井(しょうせんみつい、Mitsui O.S.K. Lines, Ltd.)は、東京都港区虎ノ門に本店を置く、三井グループの大手海運会社である。東証プライム上場。略称はMOL(エム・オー・エル)。日経平均株価の構成銘柄の一つ[3]
概要

日本郵船川崎汽船と並ぶ日本の三大海運会社の1社、連結純利益、連結売上高および時価総額で国内2位である。LNG輸送および海洋事業の分野に強みを持つ。

1964年進藤孝二社長時代、三井船舶と大阪商船が合併し、大阪商船三井船舶(略称・商船三井)が発足した(英文社名のO.S.KはOsaka Shosen Kaishaに由来する)。

1999年生田正治社長時代、ナビックスラインと合併、「商船三井」を正式社名とする。2017年時点では三井グループ三和グループに重複加盟していた[4][注 1]アリゲーターマーク

海上コンテナに記される「アリゲーター」印は柳原良平のデザインである。ファンネルマーク煙突の印)はなく、煙突は一色となっている。
沿革大阪商船たこま丸(大阪商船)天竜丸(大阪商船)
明治

1878年明治11年)- 三井物産が鉄製蒸気船「秀吉丸」で三池炭の海外輸送(口之津-上海間)を開始。

1884年(明治17年)5月 - 瀬戸内航路を主として運航する60余りの船問屋を統合して、大阪商船を設立。

1903年(明治36年)4月29日 - 三井物産が船舶部を門司に設置(三井船舶の前身)[5]

1907年(明治40年)3月 - 大阪商船、日本郵船湖南汽船、大東汽船が合弁で、上海日清汽船を設立。

1909年(明治42年) - 辰馬汽船合資会社を設立(1916年に辰馬汽船株式会社に改組、のち新日本汽船)[6]

1912年(明治45年)5月 - 大阪商船、観光開発を目的とした1,000トン級のドイツ製客船「紅丸」(くれないまる)が、大阪と別府温泉を結ぶ航路に就航。

1923年(大正12年) - 大阪商船、広島‐別府航路を開設(のちの旧・広別汽船)。

1939年(昭和14年) - 大阪商船、「あるぜんちな丸」「ぶら志゛る丸」を建造。両船は貨客船として南米航路に就航。

1942年(昭和17年)

5月 ? 大阪商船の内航部を分離し、宇和島運輸ほか5社[注 2]と共同で関西汽船設立。

12月 - 三井物産の船舶部門が三井船舶株式会社として分社化。


戦後

1947年(昭和22年) ? 財閥解体により辰馬汽船が新日本汽船となる。

1964年(昭和39年)

1月 - 山下汽船が新日本汽船と合併して山下新日本汽船となる。

新日本汽船は、もともと清酒輸送のために灘の醸造家辰馬家が1846年に始めた回漕業を前身とする船会社である[7]


3月 - 日東商船が大同海運と合併してジャパンラインとなる。

4月 - 三井船舶が大阪商船と合併し、大阪商船三井船舶株式会社となる。

大阪商船は当初、日東・大同連合に合流する計画だったが、同社主要株主に名を連ねている住友グループ各社や同社傘下にある第一中央汽船の猛反発を受け、結局この形に収まった。




1965年(昭和40年)- 日産自動車の保証を得て、自動車輸出のための自動車運搬船、追浜丸を建造。

1967年(昭和42年)- 柳原良平デザインのアリゲーターマークがコンテナサービスの象徴となる。

1989年(平成元年)6月 - 山下新日本汽船がジャパンラインと合併し、ナビックスラインとなる。本格的クルーズ船「ふじ丸」竣工。

1993年(平成5年)10月 - 日本海汽船株式会社を合併。

1995年(平成7年)

海外コンテナ船社間での提携、ザ・グローバル・アライアンス締結。

10月 - 新栄船舶株式会社を合併。


1996年(平成8年)4月 - 東京マリン株式会社に資本参加。

1998年(平成10年)- ザ・ニュー・ワールド・アライアンス締結(ザ・グローバル・アライアンスの改称)。

1999年(平成11年)4月 - 大阪商船三井船舶とナビックスラインが合併、株式会社商船三井となる。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:100 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef