横浜中華街にある児童公園については「山下町公園」をご覧ください。
山下公園
Yamashita Park
山下公園とマリンタワー(2005年4月)
分類都市公園(風致公園)
所在地 日本神奈川県横浜市中区山下町279
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度26分44.8秒 東経139度38分59.1秒 / 北緯35.445778度 東経139.649750度 / 35.445778; 139.649750
山下公園(やましたこうえん)は、神奈川県横浜市中区山下町にある公園(風致公園)。横浜港に面して約750メートルにわたり、約100メートルの幅で設けられている。面積は7.4ha。関東大震災(1923年(大正12年))で発生した瓦礫の捨て場を埋め立てて、1930年(昭和5年)に開園した[1]。
概要.mw-parser-output .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .trow>.thumbcaption{text-align:center}}開園当初の山下公園(1930年頃)復興記念横浜大博覧会の会場となった山下公園かつて山下公園前にあった貨物線山下臨港線を走行するSL、横浜開港120周年号。(1980年6月)みなとみらいの夜景(2017年2月)山下公園前の海に係留される氷川丸氷川丸夜景(2009年7月)
関東大震災の復興事業として、横浜市助役だった楢岡徹らが、市内の瓦礫などを使って海を埋め立て造成することを発案。1930年(昭和5年)3月15日に開園した。当時の六大都市のうち、横浜市は人口当たりの公園面積が最小であり、震災前からの公園計画が応用された[2]。
開園当時は現在の沈床花壇部分が泊地になっており、その名残が氷川丸の横にある小さな橋に見られる[3]。
開園後40年にわたり、公園前面の海面を埋め立て埠頭とする計画が提出されるも、これは実現せず、のちに東の隣接地に山下埠頭が造成された。なお現在、同海面地下にはトンネル構造の臨港幹線道路が計画されている[4][5]。
歴史
1863年頃:フランス波止場完成(現:山下公園中央部)。
1923年
9月20日:震災後の市の復興試案の中で海岸遊歩道として立案される。
10月10日:震災の折に発生した瓦礫の集積場として指定される。
10月14日:横浜都市計画案の中で、海岸遊歩道構想が海岸公園として計画される。
11月15日:公園計画が政府案に組み込まれる際に、その名称が山下公園に確定する。
1925年6月:着工。
1930年
2月28日:完成。
3月15日:開園。
1935年3月26日?5月24日:公園内にて復興記念横浜大博覧会開催される。
1945年:第二次世界大戦における日本の降伏に伴い、進駐してきたアメリカ軍により接収される。
1954年:アメリカ軍から返還され、再整備開始。
1959年:アメリカ軍による接収の全面解除。
1961年
再整備終了。岸壁に氷川丸が係留。
公園内を通る臨港鉄道(山下臨港線・高架の貨物線)着工。
1965年:臨港鉄道線開通。
1971年10月:リカルテ将軍記念碑建立。
1983年:園内で横浜浮浪者襲撃殺人事件発生。
1986年
臨港鉄道線廃止。
第一回神奈川新聞花火大会開催(1994年開催まで、山下公園前面で花火を打ち上げ)[6]。
1988年:横浜博覧会の際して東側一帯が再整備され、駐車場や世界の広場などができる。
1989年
臨港鉄道線の線路跡を流用した横浜博覧会臨港線にて、横浜博覧会の開催期間に限定して旅客輸送(気動車の運行による)を行い、おまつり広場前には山下公園駅が設置された(会場側の日本丸駅と往復)。
8月2日:公園沖合いの花火大会(神奈川新聞花火大会)で、花火の暴発事故が発生。花火師2人が死亡。
2000年6月:臨港鉄道線跡の公園内高架部分の撤去。
2002年3月2日:山下臨港線跡が「山下臨港線プロムナード」として整備され、新港地区から当公園まで遊歩道によって直結された。
2005年9月28日?12月18日:横浜トリエンナーレ2005が隣接する山下埠頭で開催、一部のオブジェクトが公園内にも設置される(2008年にコンテナオブジェクトは撤去)。
2007年2月:登録記念物に登録。
2009年
4月28日?9月27日:横浜港開港150周年記念事業「開国博Y150」を開催。
8月22日?23日:同事業の一つとして世界トライアスロンシリーズ横浜大会を初開催[7]。
2013年8月:横浜みなと博物館が地下6メートルまでボーリング調査を行い、地下1.8メートルから約2.7メートルの厚さで煉瓦やガラス片、陶器の欠片などが埋められていることを確認[2]。