山下八洲夫
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日本政治家山下 八洲夫やました やすお
生年月日 (1942-08-03) 1942年8月3日(81歳)
出生地 中華民国 湖北省
出身校中央大学法学部中退
前職楯兼次郎衆議院議員秘書
所属政党(日本社会党→)
無所属→)
旧民主党→)
民主党→)
民進党→)
旧立憲民主党→)
立憲民主党→)
無所属
称号旭日重光章
(2023年2月14日返上)
参議院議員
選挙区岐阜県選挙区
当選回数2回
在任期間1998年7月26日 - 2010年7月25日
衆議院議員
選挙区旧岐阜2区
当選回数4回
在任期間1983年12月 - 1996年9月27日
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山下八洲夫(やました やすお、1942年昭和17年)8月3日 - )は、日本政治家[1][2]衆議院議員(4期)、参議院議員(2期)、立憲民主党岐阜県総支部連合会常任顧問[3]を務めた。正式な名前のほか、「八州夫」の表記も用いる[4][5]
経歴

外交官の三男として[6]中華民国湖北省で生まれ[1][6]岐阜県中津川市[6][7]及び広島県で育つ[8]広陵高等学校を卒業し、中央大学法学部に進学するも中退[8]。同大学ではその後、「推薦学員卒」と認定している[9]

1966年5月、高校3年の時、日本社会党に入党[2]。党参議院議員秘書を8年、国労出身の衆議院議員楯兼次郎の秘書を10年務める[10]
衆議院議員

1983年第37回衆議院議員総選挙に、楯の後継として、日本社会党公認で旧岐阜2区から立候補し、初当選した[10]。以後4期務める[2][3]

1991年8月、日本社会党国会対策委員会副委員長、10月、裁判官弾劾裁判所裁判員に就任[2]

1992年1月、衆議院議院運営委員会理事・院内の警察及び秩序に関する小委員長に就任[2]

1993年9月、日本社会党委員長指名中央執行委員に選出、10月、国土審議会委員に就任[2]

1994年2月、裁判官訴追委員会委員に就任[2]自社さ連立政権移行後の同年7月、与党院内総務に就任[2]

1996年3月、社会民主党岐阜県連合代表に就任[2]。同年10月、第41回衆議院議員総選挙岐阜5区から無所属で立候補するも落選[2]

1997年1月、民主党岐阜の結成に参画、副代表に就任[2]
参議院議員

1998年7月、衆議院からくら替えし、第18回参議院議員通常選挙岐阜県選挙区から民主党公認で立候補し当選を果たす[2]。地方行政・警察委員会、国会等の移転に関する特別委員会、日本国有鉄道清算事業団の債務処理及び国有林野事業の改革に関する特別委員会、選挙制度に関する特別委員会(現・政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員会)、交通情報通信委員会、懲罰委員会などの理事・委員を務める[2]

2000年7月、民主党岐阜県連代表代行、8月、参議院民主党・新緑風会副会長、9月、民主党岐阜県連代表に就任[2]

2001年9月、参議院財政金融委員長に就任[2]

2002年10月、民主党選挙対策委員長代理、12月、選挙対策副委員長、民主党東海ブロック議員団会議副会長、参議院国土交通委員会理事、裁判官訴追委員会委員に就任[2]

2003年5月、民主党岐阜県連常任顧問、6月、国会移転に関する政党間両院協議会副座長に就任[2]

2004年7月、第20回参議院議員通常選挙で2期目の当選[2]。参議院懲罰委員長に就任[2]

2010年7月、第22回参議院議員通常選挙で3選を目指して岐阜県選挙区から立候補したが、党の複数擁立方針で山下と新人候補の2人を公認したことも影響し、自民党新人の渡辺猛之、民主党新人の小見山幸治に次ぐ3位で落選[11]
落選後

2013年春の叙勲で[9]、「議案審議功労[12]」により旭日重光章受章[13]

所属する民進党希望の党の合併協議が最終段階に入った2018年4月17日、党に離党届を提出。同日、記者会見を行い5月に立憲民主党の岐阜県連合を設立する意向を表明した[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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