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アフリカ属州(アフリカぞくしゅう、Africa Province)は、ローマ帝国の属州で、かつてのカルタゴの支配領域が元となっている[1]。領域の概要は、現代のチュニジア北部と地中海沿岸のリビア西部からなる。アフリカ属州は元老院属州であった。アフリカ属州の名は、ローマ帝国の後に同じ領域を支配したアラブ人にもイフリーキヤ(Ifriqiya)として残り、また、後世のアフリカ大陸の名前の由来ともなった。 古くは、アフリカを始め、ハドルメントゥム(en:Hadrumetum 紀元前146年、共和政ローマは第三次ポエニ戦争でカルタゴを滅亡させ、カルタゴ領をローマの属州として再編し、アフリカ属州とした[1]。州都はウティカ(Utica)に定めた。マシニッサが治めるヌミディア王国は、ローマの保護国(クリエンテス)として残った。この頃のローマが考えるアフリカの役割は単純で、シチリアのローマから遠い方の側に抵抗勢力が育つのを防ぐことであった。 紀元前118年、ヌミディアの王子ユグルタは、他の小王国を統合して領域を再編しようとした。しかし、ユグルタが死ぬと、彼が支配下においた領域の多くはローマ保護国の王ボックス1世(en:Bocchus_I
歴史
ディオクレティアヌス以前
その後、ユグルタ戦争、ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)を経て、ガイウス・ユリウス・カエサルによってヌミディア王国が断絶すると、その旧領はアフリカ・ノウァ属州として再編された。更に初代ローマ皇帝アウグストゥスは、アフリカ属州とアフリカ・ノウァ属州を統合し、新たにアフリカ・プロコンスラリス属州として再編、アマエダラに第3軍団アウグスタを配置した[1]。アフリカ属州を祝うハドリアヌス硬貨。アフリカの化身像は象の頭飾りを着けている。
後のクラウディウス帝によって、隣接する断絶したマウレタニア王国領がマウレタニア・カエサリエンシス属州とマウレタニア・ティンギタナ属州に再編された。アフリカ属州はその後、セプティミウス・セウェルス帝によって、旧ヌミディア領が分離された。ディオクレティアヌス帝の行政改革により、アフリカ属州、ヌミディア属州、マウレタニア・カエサリエンシス属州はアフリカ管区に統合され、7つの属州に再編された[2]。 5世紀のゲルマン民族の大移動まで、北アフリカはローマ帝国の支配下として続いた。429年、ゲルマン民族の一部族であるヴァンダル族がスペインからアフリカ北部に侵入し、シチリア、コルシカ、サルデーニャおよびバレアレス諸島まで侵略して、439年にはヴァンダル王国を建設した。ヴァンダル族は王国を軍事統制し、ローマ系アフリカ人を厳しく区別して抑圧し、また、カトリック信仰を迫害した。しかし5世紀の終わりにはヴァンダル王国は勢力を失い、領土のほとんどをマウリ族
ディオクレティアヌス以後