尾西秀勝
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尾西 秀勝
「アルモニカ」を演奏する尾西秀勝
基本情報
出身地 日本
学歴桐朋学園大学フランツ・リスト音楽院
ジャンルクラシック音楽
職業演奏家
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尾西 秀勝(おにし ひでかつ)は日本の作曲家ピアニストアルモニカ奏者。

その他、指揮チェンバロ、フォルテ・ピアノ、オルガンなどを演奏するマルチ・ミュージシャン。現在、ヨーロッパを拠点として日本と行き来しながら国際的に活動を展開する。
略歴

桐朋学園大学音楽学部ピアノ専攻・作曲専攻卒業後、ハンガリー国立フランツ・リスト音楽院ピアノ専攻卒業。作曲安良岡章夫山田泉夏田昌和浦田健次郎に、指揮黒岩英臣に師事。ピアノ藤井一興岩崎淑、柴沼尚子に、チェンバロフォルテピアノ有田千代子渡邊順生に、オルガンを早島万紀子、V.セアルに師事。作曲やピアノの他、モーツァルトベートーヴェンなど数々の作曲家たちも起用した楽器アルモニカを日本に復興させるためのエネルギッシュな活動を展開している。

彼が作曲家を志すようになったのはオリヴィエ・メシアンへの敬愛が大きな要因であり、メシアン亡き後、メシアンの愛弟子である藤井一興の下でメシアン直伝の演奏解釈を多く学んだ、ヴィルトゥオーゾな現代曲を得意とするピアニストの一人である。そのレパートリーには、「みどり児イエスに注ぐ20のまなざし」、「アーメンの幻影」、「鳥のカタログ」他、メシアンの超難曲が含まれる。また、「聖霊降臨祭のミサ」や「聖三位一体の神秘における瞑想」、「聖体秘蹟の書」などのパイプ・オルガンの最難曲もレパートリーに持つ。
活動

2007年11月に、普門館大ホールにおいて桐朋学園時代の後輩佐田大陸さだまさし氏の息子)のヴァイオリンとの共演でアルモニカを初めて演奏。楽器を手にして2週間後という短期間のスケジュールで、急遽演目に追加して披露を達成した。

2008年、第一生命ホールにおいてサン=サーンスの「動物の謝肉祭」を岩崎洸(チェロ)ほかとアルモニカにて共演。サン=サーンスによるスコアには、アルモニカと指定されたパートがあることにより、日本人の演奏として世界初演となった。同公演において、ベートーヴェンが唯一アルモニカでの演奏を指定した「レオノーレ・プロハスカ」も日本初演を実現した。また同年、アルモニカを中心とする特殊な楽器の組み合わせによる音楽家集団「セラフィム」を結成。篠崎和子(ハーピスト)、玉井美子(ピアニスト)、山本愛香(ピアニスト)との個性的な4人により、アルモニカハープ鍵盤式グロッケンシュピールチェレスタ、テューブラー・ベルズ、カリヨン、クロマティック・ゴング、銅鑼ピアノなどの余韻楽器と、パイプオルガン、エオリフォンなどを組み合わせた世界初の音響を生み出し、舞台上を動き回って複数の楽器を奏でるというアクロバティックな演奏スタイルと共に、「音楽の友」誌2009年2月号ほかで高く評価された。

2008年からTV出演にてアルモニカを紹介する機会が多くなり、日本に未知のアルモニカの音色が知られていくこととなった。

テナントを失って閉館していた仙川アヴェニューホールの救済活動を2007年から音楽仲間たちとボランティアで開始し、自己資金を投じて2009年に「仙川アヴェニュー・ホール“ve quanto ho......”」として改装オープンを実現させ、自ら館長を務めて復興させた[1][2][3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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