尾田 信忠(おだ のぶただ、1869年(明治2年) - 没年不詳)は、日本の教育者。錦鶏間祗候。 新潟県に上田義信の長男として生まれ、尾田信通の養子となった。1895年(明治28年)、東京帝国大学文科大学哲学科を卒業。陸軍教授となり、東京陸軍地方幼年学校教頭、教育総監部出仕を経て、陸軍士官学校教頭を務めた。 1935年(昭和10年)4月8日に退官し[1]、翌年に錦鶏間祗候となった。 典拠管理
経歴
脚注^ 『官報』第2477号、昭和10年4月9日。
参考文献
人事興信所編 『人事興信録 第12版(上)』 人事興信所、1939年。
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