尾崎好美
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 尾崎 好美

2009年世界陸上ベルリン大会・女子マラソン
選手情報
フルネームおざき よしみ
ラテン文字Yoshimi Ozaki
国籍 日本
種目長距離走マラソン
所属第一生命
生年月日 (1981-07-01) 1981年7月1日(42歳)
生誕地神奈川県足柄上郡山北町
身長154cm
体重41kg
自己ベスト
5000m15分28秒55 (2004年)
10000m31分47秒23 (2005年)
ハーフマラソン1時間09分26秒 (2007年)
マラソン2時間23分30秒 (2008年)

獲得メダル

陸上競技
世界陸上競技選手権
2009 ベルリンマラソン


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尾崎 好美(おざき よしみ、1981年7月1日 - )は、日本の女子陸上競技元選手。専門は長距離走マラソン

主な実績に、2009年8月世界陸上ベルリン大会女子マラソン銀メダリスト2012年8月ロンドンオリンピック女子マラソン日本代表(18位)[1]2008年11月東京国際女子マラソン及び2011年2月横浜国際女子マラソン各優勝など。
経歴
学生時代・実業団入団後

神奈川県足柄上郡山北町出身。実姉の尾崎朱美(現姓・石毛)も陸上競技元選手で、現役時代は資生堂?セカンドウィンドAC(SWAC)に所属。引退後姉の朱美はSWACスタッフ・一般市民ランナーとして活動、現在は1児の母となる。

山北町立山北中学校在学時は陸上部には所属せず、バスケットボール部に所属。大会が行われるごとに常設の陸上部と、他の運動部等から選抜された部員で結成する特設陸上部に、好美も選抜はされるものの、肝心の大会メンバーに選ばれないこともあり、目立った活躍はなかった。私立相洋高等学校卒業後、2000年第一生命保険相互会社入社、陸上競技部へ入部。

第一生命入社後は、主にトラック競技・駅伝に出場。女子マラソンでは山下佐知子監督の指導を受け、実力アップを図る。しかしフルマラソン出場までは、その後長い年月を要した。
マラソン初挑戦・東京国際女子マラソン初優勝

姉に遅れること2年、ようやく山下監督の許しを得て、2008年3月9日の第29回名古屋国際女子マラソンに一般参加選手として初マラソンに挑戦。2000年シドニーオリンピック金メダリストの高橋尚子など強豪の日本選手が出場する中、積極的にレース終盤まで先頭集団に加わった。32Km過ぎ、中村友梨香天満屋)が仕掛けたロングスパートについていけず、中村には28秒差で届かなかったが、2位と健闘した。

同年11月16日、最後の開催となった第30回東京国際女子マラソンで2度目のマラソンに出走。終盤の38km手前で当時姉と同じチームメイトだった加納由理(現・資生堂)をかわし、38.4km地点で先頭を走っていた渋井陽子三井住友海上火災保険)を追い抜き逆転、自己ベスト記録でマラソン初優勝を果たす。これにより、2009年世界陸上ベルリン大会ドイツベルリン)の女子マラソン日本代表に即内定で初選出された。
世界陸上選手権で銀メダル獲得

2009年8月23日に行われた世界陸上ベルリン大会の女子マラソン本番レースでは、他の代表選手とともに終始先頭集団に加わり、後半のペースアップにも果敢についていった。35km過ぎの給水地点で給水ボトルを取り損ねるものの、この大会男子3000メートル障害代表で給水スタッフを務めていた岩水嘉孝富士通)が、落としたボトルを拾い猛ダッシュして手渡すというシーンもあった。38km辺りで一度は先頭に立ち尾崎自らスパートを仕掛けたが、優勝した白雪中国)らに食いつかれ、40km地点からは2人のデッドヒートが続いた。最後の41km付近で白雪のスパートに引き離され、10秒差で惜しくも2位となったが、日本における世界陸上女子マラソン史上で合計10個目(金2・銀5・銅3)のメダルとなり、奇しくも18年前の世界陸上東京大会での山下佐知子と全く同じ銀メダルを獲得。また世界陸上ベルリン大会女子マラソン団体戦でも、日本代表として銀メダルを獲得した。

2010年4月25日エイヤフィヤトラヨークトルの噴火アイスランド)の影響により、一時開催も危ぶまれていたロンドンマラソンに出走。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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