「兵庫県立尼崎高等学校」とは異なります。
尼崎市立尼崎高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度45分2秒 東経135度24分7.5秒 / 北緯34.75056度 東経135.402083度 / 34.75056; 135.402083
尼崎市立尼崎高等学校(あまがさきしりつ あまがさき こうとうがっこう)は、兵庫県尼崎市上ノ島町にある公立の高等学校。大正初期1913年に町立の実科高等女学校として創立し、尼崎市内の高校では最も古い。略称は「市尼」(いちあま、県立の尼崎高校〈けんあま〉と区別するため)。 1913年(大正2年)兵庫県川辺郡尼崎町に尼崎町立実科高等女学校として創立した(文部省告示第80号3月29日付で設置と4月開校を認可[1]。のちに尼崎市立高等女学校に改称[2])。 太平洋戦争後の学制改革に伴い、新制の高校「尼崎市立尼崎高等学校」に改編。全日制普通科を設置した(1学年240名[3])。2000年(平成12年)から体育科を併置している(1学年あたり80名[3])。 クラブ活動のバレー部は、男子が春高バレー(全日本バレーボール高等学校選手権大会)に兵庫県代表として32回、2019年(令和元年)まで21年間連続で出場している名門[4]。 部活中に生徒への暴力や体罰が多発し、2019年のアンケートで全生徒950人のうち数十人が体罰を受けたと回答[5]。生徒が意識を失うまで平手打ちしていたバレー部のコーチら教員6人が懲戒処分となった。市教委によると「同じ学校で一度に6人の懲戒処分者が出るのは極めて異例」としている[6](詳細は不祥事の項目を参照)。
概要
沿革
1913年(大正2年) - 4月1日、尼崎町にて尼崎町立実科高等女学校開校[1](のちの尼崎市南城内150番地)
1919年 - 4月1日、尼崎市立実科高等女学校が高等女学校に昇格し、尼崎市立高等女学校に改称(文部省 告示第9号2月6日付で認可[2])
1948年(昭和23年) - 4月1日、学制改革により新制の高校の尼崎市立尼崎高等学校に改編(改称)。7月、男女共学化[7]
1966年 - 4月1日、尼崎市東富松字東貝原824番地[7] に移転(現在地)
1995年 ー 1月17日 阪神淡路大震災発生により、校舎使用不能。3月31日 プレハブ校舎の建設が終わる、旧校舎の取り壊しが始まる[8]。