尚樹 啓太郎(しょうじゅ けいたろう、1927年〈昭和2年〉3月30日[1] - 2010年〈平成22年〉7月13日)は、日本の歴史学者。専門は、東ローマ帝国史(ビザンツ帝国史)。東海大学名誉教授。 東京大学文学部西洋史学科卒。1957年(昭和32年)、同大学院博士課程満期退学。 1958年(昭和33年)、東海大学文学部講師、1961年(昭和36年)に同助教授となり、1968年(昭和43年)教授、文学部長。1982年(昭和57年)、東海大学副学長を務め、1996年(平成8年)に定年退任。同大学名誉教授。 渡辺金一(一橋大学名誉教授)とともに日本における東ローマ帝国研究を第一世代として開拓し、それぞれ東海大学と一橋大学に東ローマ帝国史に関する学術雑誌、関連書籍の膨大なコレクションを遺した[2]。1999年(平成11年)の著書『ビザンツ帝国史』(東海大学出版会)は一人の著者の手になる東ローマ帝国の通史としては日本初のものであり[3]、「ビザンツに関する基本的な概説書」としてゲオルク・オストロゴルスキーの『ビザンツ帝国史』(恒文社、2001年)と並んで高く評価された[4]。 『東海大学五十年史』(通史編・部局編、東海大学出版会、1993年11月)の編纂に編集委員会委員長として携わった[5][6]。
来歴
著作
単著
『教会堂の成立 : キリスト教世界の歴史的記念碑序説』東海大学出版会〈東海大学文明研究所シリーズ〉、1968年[7]
『カテドラルのある風景』東海大学出版会、1982年
『コンスタンティノープルを歩く』東海大学出版会、1988年
『ビザンツ東方の旅 : トルコ・アルメニア・シリア・イスラエル・エジプト・キプロス』東海大学出版会、1993年[8]
『ビザンツ帝国史』東海大学出版会、1999年[3]
『ビザンツ帝国の政治制度』東海大学出版会、2005年
主要論文
「ビザンティン研究発達史 : ルネッサンスから啓蒙まで」『東海大学紀要 文学部』第3号、1962年3月[9]
「ビザンス世界の形成」『オリエント』第10巻第1-2号、1967年[10]
「[書評・書評に応えて]ビザンツ時代のギリシァ語の発音表記について : 益田朋幸氏の批判に応えて」『西洋史学』第204巻、2001年3月[11]
「わが国におけるビザンツ史研究について : ビザンツ時代のギリシャ語の発音表記をめぐって」『史学雑誌』第110巻第1号、2001年4月[12]
「ビザンツ時代ギリシャ語の発音表記再論」『オリエント』第44巻第1号、2001年9月[13]
共編著
『西洋史の諸問題』兼岩正夫共著、東海大学出版会、1965年
『歴史における文明の諸相』 東海大学出版会、1971年
『西洋史30講』 東海大学出版会、1985年
翻訳
ピエール・クルセル『文学にあらわれたゲルマン大侵入』東海大学出版会、1974年
ピエール・ミルザほか『フランス : その人々の歴史』全4巻、里見元一郎、福田素子 共訳、帝国書院〈全訳世界の歴史教科書シリーズ〉、1980年
ペリー・アンダーソン『古代から封建へ』、青山吉信・高橋秀 共訳、刀水書房、1984年[14]
エレーヌ・アルヴェレール『ビザンツ帝国の政治的イデオロギー』東海大学出版会、1989年[15]
著作目録
「尚樹啓太郎教授経歴・主要著作目録」、『東海史学』第31号、1996年[16]
脚注[脚注の使い方]^ 『現代日本人名録』
^ 橋川裕之 (2003年10月). “ ⇒[研究ノート]啓蒙主義的ビザンツ観の行方 : 近代ビザンツ研究の歩みについてのメモワール([歴史学分野]歴史としてのヨーロッパ・アイデンティティ : 第四部 研究班—目標と活動—(平成14年11月-15年6月))” (pdf). 21世紀COEプログラム「歴史としてのヨーロッパ・アイデンティティ」. 京都大学大学院文学研究科. p. 145. 2023年12月26日閲覧。 “ビザンツ研究の後発地であるわが国において、ビザンツ史に限定すれば、バーミンガム大学と同程度に雑誌、図書を揃えているのが、上述の一橋大学と東海大学である。それぞれ、わが国におけるビザンツ史研究の第一世代とでもいうべき渡邊金一氏と尚樹啓太郎氏が長く教鞭をとっておられたところである。雑誌に関してみれば、両大学の所蔵分をあわせると、欧米諸国(もちろん、ギリシアやイタリア、ロシアや他の東欧諸国を含めて)から刊行されているビザンツ研究雑誌のほとんどをカバーするのではないかという膨大なものである。” ※pdf配布元は21世紀COEプログラム「グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成 : 歴史としてのヨーロッパ・アイデンティティ」ウェブサイトの「 ⇒第一回報告書「人文知の新たな総合に向けて」(2003年10月)」ページ。
^ a b 和田 廣