少年隊
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この項目では、旧ジャニーズ事務所に所属したグループについて説明しています。幕末に活躍していた部隊については「二本松少年隊」をご覧ください。

少年隊
出身地 日本
ジャンルアイドル
活動期間1981年 - 2020年
レーベルワーナー・パイオニア(1985年 - 1992年)
ポニーキャニオン
(1993年 - 1996年)
ジャニーズ・エンタテイメント(1997年 - 2019年)
Johnny's Entertainment Record(2019年 - 2020年)
事務所ジャニーズ事務所

メンバー錦織一清(ニッキ)
植草克秀(カッちゃん)
東山紀之(ヒガシ)

少年隊(しょうねんたい)は、日本男性アイドルグループジャニーズ事務所に所属していた(名前のみ存続、詳細後述)。レコードレーベルはイーラブ・レーベルリーダー錦織一清

グループの愛称は「ショーネン」。
メンバー.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この節ではを扱っています。閲覧環境によっては、色が適切に表示されていない場合があります。

各メンバーの詳細については各ページを参照。ジャニーズ事務所公式サイトのプロフィール[1]をもとに記述。

名前生年月日出身地血液型愛称イメージカラー
錦織 一清
(にしきおり かずきよ) (1965-05-22) 1965年5月22日(59歳)東京都O型ニッキ    レッド
植草 克秀
(うえくさ かつひで) (1966-07-24) 1966年7月24日(57歳)千葉県O型カッちゃん    イエロー
東山 紀之
(ひがしやま のりゆき) (1966-09-30) 1966年9月30日(57歳)神奈川県A型ヒガシ    ブラック

略歴

「少年隊」は、元々は彼ら3人を含めても当時まだ20?30人しか居なかったジャニーズ事務所の研修生であるジャニーズJr.に対する総称だった。その中の錦織一清、植草克秀、東山紀之、松原康行の4人で初期メンバーを結成、活動を開始したが、東山が高校受験のために活動を一時休止し、残りの3名で1981年10月からテレビ東京の音楽バラエティ番組「ザ・ヤングベストテン」に「Bチーム」として出演、田原俊彦近藤真彦ひかる一平などのバックダンサーとして活躍した。そんな中、松原は1982年4月から放送のドラマ「3年B組貫八先生」の出演が決定、その入れ替わりに高校受験を終えた東山が再びメンバーとして復帰することとなった。松原の脱退理由は当初、グループとのスケジュールが合わなくなったためとされていたが、ジャニー喜多川事件が取り上げられるようになると、実際には東山との確執によって脱退したことが本人の告白によって明らかにされた。なお、その「Bチーム」が、後に1982年「ジャニーズ少年隊」(後述)となり、のちに「少年隊」と改められた。

グループ結成当初は、近藤真彦のバックダンサーとして、歌番組やコンサートに出演。田原俊彦のバックダンサーグループ「ジャPAニーズ」解散以降は、田原のバックダンサーも務めた。

1982年6月にはレコードデビュー前であるにもかかわらず、当時歌謡番組の雄として知られていたフジテレビ夜のヒットスタジオ」に単独ユニットとして初出演した。以後、ヒットスタジオには1985年9月の『サクセス・ストリート』まで、レコードデビューまでの間に既に10回前後単独のアーティストとしての出演実績があった。1982年11月には、「ハワイ音楽祭」で金賞を受賞した。

1984年4月2日、郵便貯金ホールにて単独ファースト・コンサートを開催、当時として異例の1日5回公演を行った。5月、ビデオ『少年隊』を発売。その後、同ビデオ収録曲「あなたに今Good-bye」で歌番組へ多数出演。テレビ・コンサート活動・映画主演などを経て、1985年12月12日、『仮面舞踏会』でレコード・デビュー[2]。デビュー時のキャッチフレーズは「日本発、世界行」。翌年の新人賞レースでは、最優秀新人賞を総ナメした。

1986年、少年隊主演ミュージカル『PLAYZONE』開演。第37回NHK紅白歌合戦に初出場。以後8年連続出場した。

1987年、「ブロマイド」年間売上成績が第1位。

1994年、第31回ゴールデン・アロー賞 演劇賞・グランプリ受賞。

1999年、少年隊初の看板番組「少年隊夢」スタート。

2005年、近藤真彦25周年記念ディナーショーにゲスト出演。

2007年、ミュージカルPLAYZONEが、22年目の夏で通算上演回数900回を迎えた。『PLAYZONE2007 Change2Chance』は、共演者だった赤坂晃覚醒剤で現行犯逮捕されたため、DVD化が急遽中止となった。

2008年、23年間続いた少年隊主演ミュージカルPLAYZONE閉幕。翌年からはジャニーズ事務所の後輩が主演。

2020年9月20日、同年いっぱいで錦織と植草がジャニーズ事務所を退所することを明らかにした[3]。少年隊については「功績と少年隊そのものは残したい」というメンバーの意向を受ける形で「後輩たちの道標であり続けることができますよう」と同事務所所属のグループとして名前は存続するも、「グループとして活動の予定はない」と事実上の活動休止状態となった[3][4]。なお東山は翌2021年以降も事務所に残り、活動を続けていた[3]

12月12日、全シングル収録ベスト・アルバム『少年隊 35th Anniversary BEST』をリリース。

2023年9月5日、東山はジャニーズ事務所(同年10月17日付でSMILE-UP.に社名変更)の代表取締役社長に就任した。また、東山は並行している芸能活動を同年内で引退し、社長業に専念することを同年9月7日に公表しているが、東山引退後のグループとしての名前の存続については現在のところ言及はされておらず不明である[5]
受賞歴

第8回ハワイ音楽祭 金賞・振付賞
[6]

第28回日本レコード大賞 最優秀新人賞(曲:仮面舞踏会[7]

第12回日本テレビ音楽祭 最優秀新人賞(曲:仮面舞踏会)

第17回日本歌謡大賞 優秀放送音楽新人賞(曲:仮面舞踏会)

第19回日本有線大賞 新人賞(曲:仮面舞踏会)[8]

第31回ゴールデン・アロー賞 演劇賞・大賞

エピソード

三人ともバク転バク宙が出来る。東山と錦織は「仮面舞踏会」のラストで左手にマイクを持った状態でバク宙をしている[注 1]

楽曲製作は、基本的に3人が曲の選定からアレンジに至るまで関わっていた為、楽曲提供者の作家陣と会って話し合い、発表まで時間がかかったそうである[9]

グループとして初めて出演した企業広告の商品が明治製菓のチョコレートで、商品のパッケージカラー(「ハイミルク・チョコレート」の赤、「ブラック・チョコレート」の黒、「ミルクチョコレート・デラックス」の黄色)が起因となって、各個人のイメージカラーはそれぞれ「赤(錦織)、黒(東山)、黄色(植草)」となっている。

日本でのレコードデビュー時に全米デビューが発表、全米デビュー用のレコーディングを済ませたが[10]、その後の進展はなく、現在ではジャニーズ事務所が制作に関わっていないタイプのジャニーズ本でも言及されることはない。

1985年8月11日大阪の新歌舞伎座で幕を開けた舞台「森の石松」主演・近藤真彦の応援に赴く事務所代表ジャニー喜多川に同行して翌12日日本航空123便に搭乗する予定だったが、ジャニーは初日に近藤が開く記者会見に来て欲しいと要請を受けて前倒しで大阪入りし、少年隊は当該便をキャンセルして東京に残ったため、日本航空123便墜落事故を避けられた[11]

2008年のPLAYZONE公演を最後に、2020年12月31日をもって錦織と植草がジャニーズ事務所を退所するまで、グループとしての活動は、ファンクラブのデビュー30周年記念の会報、35th Anniversary Bestの発売と限定盤に掲載されたインタビュー、ファンクラブ会報最終号以外は、全くといっていいほど行われなかった。これについて東山は「12年も活動していなかったことは、ファンの皆さんには本当に申し訳なかったと思っています」「3人それぞれの意見があるし、やりたいことも、やらなきゃいけないことも違ってきた。」と語った[12]

事務所側が「少年隊の名前は残す」と示した見解について、錦織は出演したラジオ番組にて「誤解がないように、ここで“実は”っていう話をしたい。いっとき、ジャニーさんが“ジャニーズJr.”という言葉を封印している時代があり、その時に研究生を指した呼び方が“少年隊”だった。「ジャニーズ少年隊」はジャニーズJr.じゃなくて、研究生の子たちはみんな少年隊だっていうのがあった。だから僕たちの意思で、間違っても僕の意思で『その名前はもうやめてくれ』ってことは言えないという主張をさせていただいた」と答えている[13]

ジャニー喜多川より「最高傑作のグループ」と称されたことがある。このことについて植草は、「それは人づてに聞いたことがあるが、自分たちが最高かどうかはさておき、いちばん時間をかけてデビューさせたという点では、自分達だと思う。歌もダンスもさることながら、英会話レッスン、ボーカルレッスン、ダンスも国内外のすごい方々のところにも習いに行き、とにかくエンタテインメントに必要なものは何でも学ばせてくれ、アメリカのショーもいっぱい見せてもらい、アメリカナイズされた雰囲気を肌で感じられた。また合宿所時代に、アメリカに住んでいたジャニー喜多川の兄から現地の映像をたくさん送ってもらい、マイケル・ジャクソンジャクソン5オズモンド・ブラザーズなどの足の動きなどは、まだ日本人がほとんど知らない時からコピーして、例えば『ブルドッグ』の間奏の部分で取り入れてみたりして、そういう意味では、僕らがいちばん恵まれていた気がする。最高のものを見せてもらってきたからこそ、それに近づこうとし続けていたことで今がある」と述べている[9]。また東山は、歴代のジャニーズの中でダンスがうまいTOP3は、「1位:ニシキ、2位:俺、3位:かっちゃん」と答えたことがある[14]
作品
シングル

枚発売日タイトル順位備考
ワーナー・パイオニア
11985年12月12日仮面舞踏会1位B面楽曲の異なる3タイプを同時発売。
第37回NHK紅白歌合戦初出場曲。
21986年3月24日デカメロン伝説2位
31986年7月7日ダイヤモンド・アイズ1位
41986年11月28日バラードのように眠れ1位本作からシングルカセットも発売。
51987年3月3日stripe blue1位
61987年6月24日君だけに1位第38回NHK紅白歌合戦出場曲。
71987年11月11日ABC1位
81987年11月30日LADY5位
91988年3月5日SILENT DANCER5位CDは8cmCDで4月25日発売。
101988年3月23日ふたり2位CDは12cmCDで4月7日発売。
111988年7月8日What's your name?1位
121988年11月10日じれったいね1位第39回NHK紅白歌合戦出場曲。
131988年12月10日続・じれったいね3位
141989年6月19日まいったネ 今夜1位第40回NHK紅白歌合戦出場曲。
151990年4月10日封印LOVE2位EPレコードが発売されたのはこの曲が最後。
161990年7月7日FUNKY FLUSHIN'10位山下達郎のカバー曲。
第41回NHK紅白歌合戦出場曲。
171990年12月12日砂の男14位
ポニーキャニオン
181993年4月27日You're My Life -美しい人へ-18位シングルカセットが発売されたのはこの曲が最後。
191993年11月19日EXCUSE36位
201995年12月1日oh!!10位
ジャニーズ・エンタテイメント
211998年1月28日湾岸スキーヤー15位フジテレビ長野オリンピックイメージソング
221998年8月26日愛と沈黙12位
231999年6月23日情熱の一夜24位8cmCDが発売されたのはこの曲が最後。
242000年2月2日ロマンチックタイム35位カップリングに初めてメンバーのソロ曲を収録。
252001年2月21日君がいた頃26位
262006年7月9日想 SOH39位


1991年2月10日にシングル1?8枚目の10作品を規格変更(EPレコード?カセット⇒8cmCD)のためワーナー・パイオニアより再発売。


2013年7月3日にシングル21?23枚目の3作品を規格変更(8cmCD⇒12cmCD)のためジャニーズ・エンタテイメントより再発売。

番外シングル

枚発売日タイトル形態品番備考
ワーナー・パイオニア
-1987年NEW YEAR CONCERT'87 SHONENTAI 武道館LIVELD30PL-2002LD Single。
「仮面舞踏会」「SILENT LADY」「HEARTS」「FRIDAY NIGHT」の4曲を収録。
ポニーキャニオン
-1993年7月WINDOW8cmCDDC-0089「PLAYZONE'93 WINDOW」のテーマ曲。
劇場限定販売。

アルバム
オリジナル・アルバム

枚発売日タイトル備考順位
ワーナー・パイオニア
-1986年3月8日
BACKSTAGE PASSカセットのみ発売。


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