少年キング
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週刊少年キング
Weekly Shonen King
ジャンル
漫画
読者対象少年
刊行頻度毎週
発売国 日本
言語日本語
定価170円(休刊時)
出版社少年画報社
刊行期間1963年7月8日 - 1982年5月7日
レーベルヒット・コミックス
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少年KING
Shonen King
ジャンル漫画
読者対象少年
刊行頻度隔週
発売国 日本
言語日本語
定価200円
出版社少年画報社
刊行期間1982年8月6日 - 1988年11月4日
レーベルヒット・コミックス
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『週刊少年キング』(しゅうかん しょうねんキング)は、少年画報社が発行した週刊漫画雑誌1963年7月8日に創刊され、1982年4月に休刊。同年に月2回刊の『少年KING』として新創刊したが、1988年に再び休刊した。
概要

日本で3番目に創刊された週刊少年誌で、先に少年週刊誌を創刊した講談社小学館などの大手出版社とは違い、中小出版社としては初めて創刊された週刊少年誌だった。

出版社の資本力の違いから、部数的には常に最下位だったが、執筆陣には漫画界を代表する錚々たるメンバーが名を連ねており、多くの名作やヒット作を輩出。週刊少年ジャンプ週刊少年マガジン週刊少年サンデー週刊少年チャンピオンと並んで五大週刊少年誌の一角を担った。
歴史
初期

1959年に創刊された『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』に続いて、その4年後の1963年に創刊された第3の週刊少年誌である。先行誌が定価50円だったのに対して、創刊号は30円、通常号は40円と安価にして初期読者の獲得を狙った。

誌名の「少年キング」は、1963年7月に『少年画報』誌上で、「少年フレンド」「少年ファイター」「少年ルック」「週刊少年画報」と並んで候補として挙げられた中から、読者の人気投票で決定したもの。1968年創刊の『週刊少年ジャンプ』、1969年創刊の『週刊少年チャンピオン』とともに週刊漫画雑誌5誌体制を1970年代から1980年代にかけて築いたが、部数的には低迷して常に最下位だった。

先行する『週刊少年サンデー』『週刊少年マガジン』に部数が奪われていた月刊誌『少年画報』の週刊誌版という位置付けだった。創刊号の掲載作品は、『少年画報』で「0戦太郎」を連載して好評を博していた辻なおきの『0戦はやと』、吉田竜夫の『少年忍者部隊月光』、望月三起也の『ハヤブサ』、堀江卓の『忍者シデン』、森田拳次の『おんぼろ記者ポッポー』など、その多くが『少年画報』の執筆メンバーである。

創刊するにあたって、双葉社の大人向け週刊誌週刊大衆』の編集デスクだった多田三郎を、週刊誌のノウハウを持つとしてスカウトした。初期の編集長は小林照雄が務めていたが、週刊ペースでの刊行が軌道に乗ると、すぐに多田へ交代した。
全盛期

創刊直後から手塚治虫や、石森章太郎(のちの石ノ森章太郎)・藤子不二雄ら人気漫画家が勢揃いしたトキワ荘グループを積極的に起用。さらに梶原一騎原作の『柔道一直線』、『赤き血のイレブン』、藤子不二雄(のちに藤子不二雄Ⓐ名義)の『フータくん』、『怪物くん』、つのだじろうの『忍者あわて丸』(『ピュンピュン丸』)、梅本さちおの『アパッチ野球軍』、望月三起也の『ワイルド7』等のヒット作に恵まれた事もあり、創刊時には25万部だった発行部数が、70万部を最高に、1970年代半ばには45万部から60万部弱に達した。

このうち、『柔道一直線』、『ワイルド7』は実写ドラマ、『ピュンピュン丸』、『赤き血のイレブン』、『怪物くん』、『アパッチ野球軍』はアニメとして、テレビ放送を果たしている。

1970年代半ば頃のヒット作は、継続中の『ワイルド7』に加え、荘司としおの『サイクル野郎』、日大健児の『ドッキリ仮面』などで、小池一夫松森正『木曜日のリカ』、日野日出志『太陽伝』など、少年誌としては異色の作品も話題になった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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