少年の日の思い出
Jugendgedenken
作者ヘルマン・ヘッセ
国 ドイツ帝国
言語ドイツ語
ジャンル短編小説
発表形態雑誌掲載
初出時の題名Das Nachtpfauenauge
日本語訳
訳者高橋健二
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
テンプレートを表示
『少年の日の思い出』(しょうねんのひのおもいで 原題:Jugendgedenken)は、ヘルマン・ヘッセが1931年に発表した短編小説。
中学校1年生の国語教科書に掲載されていることで、日本での知名度は高い。この作品は2008年以降、「ヘルマン・ヘッセ昆虫展」として具現化され、全国30都市以上で展覧されている。さらには軽井沢高原文庫で開催された際、軽井沢演劇部により朗読劇にもなり、軽井沢ほか東京でも上演された。また、この昆虫展をきっかけに、ヘッセ自身が採集したチョウ(パルテベニヒカゲ)が大阪府在住のコレクター所有のチョウ類コレクションの中から発掘され、大阪市立自然史博物館にてヘッセ昆虫展に合わせ一般公開された。
概要(ドイツ語版
1931年に日本のドイツ文学者である高橋健二がヘッセを訪問し、別れ際に「列車の中で読みたまえ」と渡された新聞の切り抜きが『Jugendgedenken』である。高橋ははじめ、この物語に『少年の日の憶出』の邦題を付けて翻訳したが、後に『少年の日の思い出』に変更された[2][注 1]。
1947年に高橋健二訳が、日本の国定教科書に掲載された[4]。それ以来、現在の検定教科書に至るまで70年間以上も掲載され続けており、このヘッセの作品は、日本で最も多くの人々に読まれた外国文学作品の1つと言える。
一方、ドイツで発行された単行本や全集に収録されているのは、すべて1911年の初稿である『Das Nachtpfauenauge』であり、『Jugendgedenken』はドイツではほとんど知られていない。これは、先述の通りヘッセが高橋に新聞の切り抜きを渡したために、ヘッセの手元には『Jugendgedenken』が残っておらず、ヘッセの膨大な遺品・資料の整理をしたフォルカー・ミヒェルスでさえも分からなかったためである。
後に、この新聞は千葉県の教師により、ヴュルツブルクの地方新聞社・マインポストのマイクロフィルムから見出され、ヘッセ昆虫展において初公開された。この新聞コピーが日本にあることを突き止めたのは、この昆虫展を制作・運営した日本昆虫協会理事で当時栃木県庁職員であった新部公亮である。新部はまた、大阪より発掘されたパルテベニヒカゲを、東洋大学名誉教授・岡田朝雄(昆虫展の監修者)とともに、ヘッセの採集品であることを証明してみせ、さらには広島県在住の司書が所有していたヘッセの直筆水彩画2点を借り受け、下野市において世界初公開した。内1点の「Agno See」と題された水彩画は、フォルカー・ミヒェルスの勤務するズーアカンプ社に電送され、2013年版「ヘッセ水彩画カレンダー」の4月分を飾った。ドイツ・スイス以外の国に存在する直筆画としては初めての採用であった。
なお岡田は2020年に『少年の日の思い出』とその初稿について詳細に論じている[5]。
1931年当時、この物語の鍵となる蛾(Nachtpfauenauge、直訳では「夜の孔雀の目」)には和名が存在せず、高橋は「楓蚕蛾(ふうさんが)」と訳していた。後に日本昆虫協会副会長を努めるほどの昆虫好きなドイツ文学者となる岡田が、大学時代(1950年代)にドイツ語の資料を調べたところ、ドイツで「Nachtpfauenauge」(de)と呼ばれる蛾は複数おり、「Mittleres(中型) Nachtpfauenauge」 (en:Saturnia spini)、「Wiener(大型) Nachtpfauenauge」(en:Saturnia pyri)、「Kleines(小型) Nachtpfauenauge」(en:Saturnia pavonia)の3種が問題の蛾の候補に挙げられた。このうちWiener Nachtpfauenaugeはポケットに入れるには大きすぎること、Kleines Nachtpfauenaugeは希少性が低いことから、Mittleres Nachtpfauenaugeこそがエーミールの蛾であると断定し、岡田によってそれぞれ「クジャクヤママユ」「オオクジャクヤママユ」「ヒメクジャクヤママユ」の和名が付けられた。