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こじか ばん
小鹿 番
本名小鹿 敦(こじか あつし)
生年月日 (1932-06-18) 1932年6月18日
没年月日 (2004-04-29) 2004年4月29日(71歳没)
出生地 日本、東京府東京市
死没地 日本、東京都
ジャンル俳優
活動期間1957年 - 2004年
配偶者あり
主な作品
テレビドラマ
『前略おふくろ様』
『かたぐるま』(第1シリーズ)
『しおり伝説?スター誕生?』
受賞
第16回菊田一夫演劇賞特別賞
『放浪記』出演者の一人として
第19回菊田一夫演劇賞
『ゆずり葉』(1993年)
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小鹿 番(こじか ばん、1932年6月18日[1] - 2004年4月29日)は、日本の俳優。東京市出身。本名及び旧芸名は小鹿敦。主に舞台俳優として活躍した。 浅草・合羽橋に生まれる。中学生の頃は将来画家になろうとしていたが[1]、大宮高校時代に演劇部に入ったことで演劇に夢中になり、演劇の道を志す[1]。明治大学文学部演劇学科卒[1]。劇団青春座、女優座、舞台工房、アトリエ座などの劇団を転々とした後、1957年、劇団東宝現代劇に1期生として入団[1]。1964年、交通事故で入院した八波むと志の代役として、『マイ・フェア・レディ』のアルフレッド・ドゥーリトル役で評判になる[2]。 林芙美子原作・森光子主演の舞台『放浪記』では菊田一夫、『ラ・マンチャの男』ではサンチョを演じていた。 舞台を中心に活動する一方、映画やテレビドラマでも味のある名脇役として数々の作品に出演した。 2004年4月29日、急性腎不全のため死去。71歳没[3]。同年3月2日 - 3月29日、つまり死の1か月前まで名古屋市にある中日劇場で公演を行っていた。また、晩年はフジテレビ系のバラエティ番組『痛快! 知らぬはオトコばかりなり』のレギュラーとして、妻と一緒に出演していた。 芸名は、童話やディズニー映画の『バンビ』からで、この名付け親は脚本家の倉本聰[4]。元々の当人の愛称もバンビから「バンちゃん」だった[4]。
来歴・人物
出演
テレビドラマ
大河ドラマ(NHK)
太閤記(1965年) - 渡辺天蔵
竜馬がゆく(1968年) - 上田円増
勝海舟(1974年) - 三太
花神(1977年) - 広戸甚助
進め!青春(1968年、NTV / 東宝)
鬼平犯科帳 第1シリーズ
第26話「井筒屋おもん」(1970年、NET) - 小柳安次郎
第31話「女の毒」(1970年、NET) - 小柳安五郎
第47話「運の矢」(1970年、NET) - 小柳安五郎
非情のライセンス(NET / 東映)
第1シリーズ
第20話「兇悪の正義」(1973年) - 柏木健次
第49話「兇悪のレンズ」(1974年) - 香港から来た男
第2シリーズ
第10話「兇悪の星」(1974年) - 夜間中学の生徒・タイエン
第40話「兇悪の棺桶」(1975年) - 小平専務
必殺シリーズ(ABC / 松竹)
暗闇仕留人 第5話「追われて候」(1974年) - 伊兵衛
必殺仕置屋稼業 第16話「一筆啓上無法が見えた」(1975年) - 古泉堂
必殺仕事人IV 第40話「主水 世にも不思議な朝顔を作る」(1984年) - 源蔵
必殺仕切人 第11話「もしも父親が"娘よ"と泣いたら」(1984年) - 佐平
必殺剣劇人 第4話「日照り続きで、ほこりが立たあ!」(1987年) - 佐吉
おしどり右京捕物車 第19話「眩(くらむ)」(1974年、ABC / 松竹)
ご存知遠山の金さん 第47話「朱丸をつける男」(1974年、NET / 東映) - 勘助
座頭市物語 第2話「子守唄に咲いた女郎花」(1974年、CX / 勝プロ) - 絹問屋「万屋」番頭
がんばれ!!ロボコン(1974年 - 1975年、NET / 東映) - 大山新太郎の上司・野々山課長
第2話「おいらダンプより強かった!!」
第8話「パラハラ! 男涙で家出する」
第20話「ポカパッパ! 斬られ役はつらい」
第24話「ドサガバン! 親切運動だぞ!!」 他
太陽にほえろ!(NTV / 東宝)
第129話「今日も街に陽が昇る」(1975年) - 老人ホーム「パレス・サンライズ」園長
太陽にほえろ! PART2
日本沈没 第26話(最終話)「東京最後の日」(1975年、TBS / 東宝) - 理髪店主
コンドールマン 第6話「コンドール・ジュニア誕生」(1975年、NET / TTP) - 健助
剣と風と子守唄 第8話「孤雁の群れ」(1975年、NTV / 三船プロ) - 与助