小錦八十吉_(6代)
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出典検索?: "小錦八十吉" 6代 ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2021年7月)
アロハシャツを着た小錦(2015年)

小錦 八十吉(こにしき やそきち、1963年昭和38年〉12月31日 - )は、アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル出身で高砂部屋に所属し現在は日本国籍(帰化)の元大相撲力士。本名同じ。株式会社伝元所属のタレント
概要KONISHIKI(2005年・減量前)

KONISHIKI(コニシキ)の芸名でタレント活動を行っていた時期があった。他に子供向け教育番組などでコニちゃんの芸名を使用することもある。本名の旧姓は塩田、米国籍時代の本名はサレバ・ファウリ・アティサノエ (Saleva'a Fuauli Atisano'e)。帰化以前の大相撲時代にはサレバ・アティサノエと記載されたこともある。愛称はサリー[1]、コニちゃん、黒船。現在の体格は身長184cm、体重153kg。血液型はAB型、星座は山羊座。

関取時代のプロフィールは、身長187cm、体重275kg(最重量時は285kg)。ロンドン巡業では当時大相撲史上最重量の巨体を形容する「ダンプトラック」の異名が与えられた[2]。得意手は突き、押し、きめ出し。最高位は東大関(外国出身初)。横綱を含む幕内力士としては3人目の小錦、十両以下を含めては6人目の小錦である。

生粋のハワイアンではなく、両親はサモアからの移民サモア系アメリカ人でもある。10人兄弟姉妹の8番目(上から6人はサモア生まれ、小錦含む下の3人はハワイ生まれ、1人は従姉妹)。兄はアントニオ猪木と格闘技で戦ったこともあるアノアロ・アティサノエ。親族の中にアメリカのgangsta rapグループ、Boo Yaa T.R.I.B.E.のメンバーがいる。
来歴

小錦 八十吉

1996年5月場所、場所入りする小錦
基礎情報
四股名小錦 八十吉
本名小錦 八十吉
塩田 八十吉(旧姓)
(米国名:サレバ・ファウリ・アティサノエ)
愛称サリー、コニちゃん、黒船[3]、ダンプトラック
生年月日 (1963-12-31) 1963年12月31日(60歳)
出身 アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル
身長187cm
体重275kg
BMI78.64
所属部屋高砂部屋
得意技突き、押し、右四つ、寄り[4]
成績
現在の番付引退
最高位東大関
生涯戦歴733勝498敗95休(93場所)
幕内戦歴649勝476敗89休(81場所)
優勝幕内最高優勝3回
十両優勝2回
序二段優勝1回
序ノ口優勝1回
殊勲賞4回
敢闘賞5回
技能賞1回
データ
初土俵1982年7月場所
入幕1984年7月場所
引退1997年11月場所
引退後佐ノ山親方
他の活動タレント
備考
金星2個(千代の富士1個、隆の里1個)
2012年12月28日現在■テンプレート  ■プロジェクト 相撲
手形サイン

元大関で現役引退後は当初、年寄佐ノ山を襲名し高砂部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっていたが、タレントに転向。旧芸名四股名をローマ字で表記した「KONISHIKI」であった。「小錦八十吉」は高砂部屋の由緒ある四股名であり芸名としての使用は許可されなかった[注 1]。名字は前妻の「塩田」を名乗っており、「小錦」と改姓した時期はその後、前妻と離婚し再婚した後である。芸名としては認められなかったが本名としては認められた。株式会社KP(Konishiki Powerの略)を設立して活動し、特にCMで好評を博した。歌手としてもアルバム「Konishiki KMS」「Konishiki Simply」を出した。2003年5月には東京ドームシティでレストラン「あんばらんす」を出店した。しかし、2010年5月に今後はハワイアン歌手としての活動を除き、本名の小錦八十吉名義で活動することを自身のブログで公表した[5][6]
入門?「ハワイの黒船」

サモア系移民の家庭に生まれ、貧しいながらも敬虔なキリスト教徒である厳格な両親の元で育てられた。小学校時代から成績優秀かつ運動万能であり、水泳陸上競技バスケットボールに親しんだ。私立高校に入ると真面目だった素行が悪化して毎日喧嘩に明け暮れ、兄と2人で親戚の救援に駆け附けて、バットで右眼が見えなくなる程に殴られたにもかかわらず20人を倒したり、教会の賛美歌の練習を怠けて遊びに行ったのが父に知られて背中をホースで叩かれた事もある。父によりハワイ大学附属高校へ転校させられると更生し、スポーツと学業に取り組むようになった。アメリカンフットボール部ではオフェンスラインマンとして活躍し、4年次に主将を務めた。ハワイ州高校オールスターにも選ばれる一方、パワーリフティングではスーパーヘビー級選手としてハワイ州選手権者になるほど活躍した。学業では特に数学が得意で、将来はシラキュース大学へ進学して弁護士を目指そうとしていた[7]。他にも吹奏楽団でサックス担当として本土へ演奏旅行に出かける事もあった。その後、知人を通じて高見山と知り合う。

1982年(昭和57年)5月にホノルルで完成した「高見山記念土俵」の土俵開きと墓参りで訪ねて来た高見山から熱心に勧誘されたため、泣いて反対する母を説得して1982年(昭和57年)6月に高砂部屋へ入門した。成田空港に到着した小錦はTシャツと民族衣装の巻きスカートを着用しており、小さな鞄の中には服や聖書、家族写真に加え母親が持たせてくれた5000円札1枚だけが入っていた。初土俵は同年7月場所で、新弟子検査では体重計の目盛を振り切ってしまい、急遽もう1台用意して脚を片方ずつ乗せて測定(1台では150kgまでしか測れなかったため、105kg+70kgと記録されている。)[注 2]したり、腕が太すぎて血圧計が使えないなどの逸話を残した[7][8]。足のサイズは35cmあった。国技館に常設されている力士専用トイレの個室便器は、彼には小さすぎたため後に陶器メーカーが特注品を納品した[7]

入門すると高砂親方(元横綱朝潮)に押し相撲の基礎を教え込まれる。稽古では廻しを取ったり変わったりすると竹刀で容赦なく殴られた[8]


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