小金井勝
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こがねい まさる
小金井 勝
1920年代の写真。
本名柏井 勝(かしわい まさる)
生年月日 (1902-05-25) 1902年5月25日
没年月日不詳年
出生地 日本 大阪府大阪市西区
職業俳優
ジャンル新派新劇新国劇劇映画時代劇剣戟映画サイレント映画トーキー
活動期間1915年 - 1956年
主な作品
『旗本五人男』
『水戸黄門 東海道篇』
浪人街 第三話 憑かれた人々
『破恋痴外道』
『赤鞘安兵衛』
『片手無念流』
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小金井 勝(こがねい まさる、1902年5月25日 - 没年不詳)は、日本の俳優である[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11]。本名柏井 勝(かしわい まさる)[1][2][3][4][5][9]新派新国劇を経てサイレント映画剣戟俳優に転向、立ち回りの巧さに定評があった[1]
人物・来歴

1902年明治35年)5月25日大阪府大阪市西区に生まれる[1][2][3][4][5][9]

同市同区(現在の同市港区)内の旧制・大阪府立市岡中学校(現在の大阪府立市岡高等学校)に進学したが、満13歳を迎える1915年(大正4年)、満洲(現在の中華人民共和国東北部)を巡業していた新派の赤松武雄が率いる一座に参加、初舞台を踏んだ[1][2][3][4][5]。帰国後、1917年(大正6年)に澤田正二郎らが設立した新国劇に参加し、同劇団の中堅俳優に成長する[1][2][3][4][5]。その後、中田正造、伊川八郎らとともに脱退し、中田正造らの新声劇等に参加、1926年(大正15年)に山口俊雄らが大阪で結成した新潮座にも参加した[1][2][3][4]

満25歳となった1927年(昭和2年)10月、牧野省三(マキノ省三)が主宰する京都のマキノ・プロダクションに入社、映画俳優に転向する[1][2][3][4][5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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