小野 茂樹
誕生 (1936-12-15) 1936年12月15日
東京都渋谷区
死没 (1970-05-07) 1970年5月7日(33歳没)
職業歌人
言語日本語
最終学歴早稲田大学文学部国文学科中退
主な受賞歴現代歌人協会賞
デビュー作第一歌集『羊雲離散』
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小野 茂樹(おの しげき、1936年12月15日 - 1970年5月7日)は、東京都渋谷区出身の歌人。 1955年に東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業後、早稲田大学文学部国文学科に進学、早稲田大学短歌会に入会。同じく会員であった石本隆一の紹介により前田夕暮系の短歌結社「地中海」に参加し、香川進に師事。1963年に大学を中退し、角川書店や河出書房新社に編集者として勤務する。 1968年に第一歌集『羊雲離散』を刊行し、翌年第13回現代歌人協会賞を受賞。瑞々しさにあふれたやわらかな相聞歌が高く評価された。また、少年期の学童疎開(9歳で長野県に集団疎開し、栄養失調状態で帰京)の経験が作品に濃厚な死の影を落としているとも評される。 恋愛、失恋、結婚、離婚、再婚などで私生活の面で一部の注目を集めたが、1970年に交通事故のため33歳で死去[1]。死後、遺歌集『黄金記憶』が刊行された。
人物
著書
羊雲離散―小野茂樹歌集(地中海叢書 第39篇) 白玉書房 (1968年)
黄金記憶(地中海叢書 第99篇) 白玉書房 (1971年)
小野茂樹歌集(現代歌人文庫〈21〉) 国文社 (1982年)ISBN 978-4772002080
代表歌
あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ/『羊雲離散』[2]
わが肩に頬をうづむるひとあれば肩は木々濃き峠のごとし/『羊雲離散』[2]
くさむらへ草の影射す日のひかりとほからず死はすべてとならむ/『黄金記憶』[2]
五線紙にのりさうだなと聞いてゐる遠い電話に弾むきみの声
グランドの遠景ながら少年と少女の肌のひかり異る
脚注[脚注の使い方]^ 前日の勤務終了後の夜、同世代で親交の深かった小中英之と共に銀座の行きつけのバーで歓談した。午前1時を過ぎてから小中と別れ帰路のタクシーに乗車した数分後、タクシーは運転ミスで昭和通りの中央分離帯に激突。小野は車外へ放り出され、後頭部を打って死亡した。
^ a b c 『新・百人一首 近現代短歌ベスト100』(岡井隆、馬場あき子、永田和宏、穂村弘共著、文春新書、2013年 ISBN 4-16660-909-2)に掲載。
参考文献
久我田鶴子 『雲の製法-小野茂樹ノート』 砂子屋書房、1997年
関連項目
筑波大学附属中学校・高等学校の人物一覧
外部リンク
⇒東郷雄二「今週の短歌 001:2003年4月 第4週 小野茂樹 または、輝き続ける永遠の夏の抒情」(小野茂樹作品書評)
⇒「小野茂樹論-戦後の光を求めて」-川野里子の短歌とエッセイ
「現代歌人ファイルその139・小野茂樹」-トナカイ語研究日誌
⇒東京新聞:永遠となった初恋の夏:一首のものがたり(TOKYO Web)
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