小野澤 宏時
生年月日 (1978-03-29) 1978年3月29日(46歳)
出身地静岡県島田市
身長1.80 m (5 ft 11 in)
体重82 kg (12 st 13 lb)
学校静岡聖光学院高等学校
大学中央大学文学部フランス語文学文化専攻
親族小野澤謙真
竹内宏彰
ラグビーユニオンでの経歴
ポジションウィング、フルバック
アマチュア経歴
年チーム出場(得点)
1996-00
2017-21中央大学
福井県スポーツ協会()
シニア経歴
年チーム出場(得点)
2000-14
2014-17サントリー
キヤノン185()
代表
年チーム出場(得点)
2001-13 日本81275
更新日: 2014年8月25日
7人制代表
年チーム大会
2005 日本1
小野澤 宏時(おのざわ ひろとき:Hirotoki ONOZAWA、1978年3月29日 - )は、日本の元ラグビーユニオン選手。スポーツ研究者・スポーツ指導者。
ラグビーワールドカップに2003年、2007年、2011年の3度出場し、3大会すべてでトライを記録[1]した唯一のレジェンドラガーマン。13年間日本代表の主にウィングとして国際試合81回に出場(日本歴代2位)し、55トライを獲得。2014年、日本代表 スポットコーチ(チームメンター)に就任。現役引退後は、Bring Up Rugby Academyコーチ。2021年に静岡県ラグビーフットボール協会の理事に就任。静岡県教育委員会委員、複数の大学講師も担当している。ラグビー選手の小野澤謙真 は長男。 父親がラグビーをやっていた[2]こともあり、1990年に静岡聖光学院中学校で[3]ラグビーをはじめる。週3回しかない練習環境で、中学2年時より葛西祥文(元日本代表/日体大・サントリー出身)に指導を受けながら独自の練習法を実施。1996年に中央大学文学部フランス語文学文化専攻[4]に進学し1年時に、U-19日本代表に選出。2001年にラグビー日本代表のデビュー戦(vsウェールズ)でトライをあげる。その後、ラグビーワールドカップ2003、ラグビーワールドカップ2007、ラグビーワールドカップ2011と3大会連続ですべての試合(合計12試合)に出場し、すべての大会でトライも獲得。日本代表通算:81キャップ[要曖昧さ回避]で日本歴代2位、55トライ(世界歴代4位)をあげた。 2003年のトップリーグ 開幕戦、vs神戸製鋼に出場し、トップリーグのトライ第1号を含む4トライ。2008年にリーグ戦とプレーオフでMVPを連続受賞し、2010年・2011年には最多トライゲッターを獲得した。ベスト15(メンバー)にはフルバックで1度、ウイングで7度選出された。トップリーグ18年間のリーグ戦通算で最多トライ(109トライ)を獲得した功績で2021年に特別賞を受賞した。 ラグビー人生を振り返った著書『倒れるな』の中で、自身のキャリアに関しては「劇的な人生でもなく、これといった挫折もなく、大きな怪我から立ち直ったというエピソードもなく、毎日フワッと生活していて大して面白くもない人生」だと語るが、広い意味でのアスリート育成に尽力し、教育・指導に関して強い想いを持っている。特に自分に対する信頼感(自己効力感[5])の育成や習得方法、協働実践の徹底やスキルの習得からはじめないスポーツを通じた学習に尽力している。 2023年度ラグビー高校日本代表のWTB/FB小野澤謙真(静岡聖光学院→慶応義塾大学)は長男[6] [7] 現役時代からアスリートのセカンドキャリアを真剣に自ら考え取り組む。「様々なことを経験し人としての貯金を増やす」ことが選手としての価値が上がり、長く現役を続けられるかもしれないとの考えを持ち自らで実践。2003年の入社4年目に、教員免許取得を主な目的としサントリーでは3人目のプロ契約[8]を締結。社員として働いていた時間を使って保健体育[9]の教員免許を取得。2010年筑波大学大学院(修士課程)スポーツ健康システム・マネジメント専攻 スポーツプロモーションコースに進学。2015年からは自らも学び続ける教育者としてデュアルキャリアの実践として静岡産業大学 非常勤講師で、一般教養の体育授業を担当。2017年 常葉大学 非常勤講師も担当と同時に、日本体育大学 博士課程に進学し、福井県の選手兼任コーチ[10]に就任。2018年からは、ラグビー元日本代表キャプテンの菊谷崇、箕内拓郎、と共に小中学生向けの状況判断、コミュニケーションを重視した「Bring Up Athletic Society」を設立し指導している。2020年には、体育の授業以外でラグビーを活かせないかという発想を元に企画した『ラグビー×道徳』の研究授業を東京都世田谷区の小学校で実施。ラグビーというスポーツを通じて、コミュニケーション能力・状況判断能力・考える力の向上に役立てたいと日々研究している。 ラグビーではパスを出せる角度は180度だけ。サッカーは倍の360度。その中で、ディフェンスがどうやって相手にプレッシャーをかけるのか。はめにいっているのか。その群れとしての動きがすごく興味深いと考え、前投げ可能、ビブス(上着)に装着したマジックテープ式タグをタックル代わりに取る等、タグラグビーを基に、体格や能力差を問わず楽しめる内容にした「チェイスボール」を開発。2018年には教育プログラムの研究・開発をまとめた指導書も出版。「ゲームの中で考え、スキルを身に付けさせる」新しい指導法として注目をされ、東京都町田市の全小学校が取り組むなど、全国で広がりをみせている。 スポーツの習熟度を高めるのが目的ではなく、スポーツを使い皆が話をするきっかけにして欲しいと考え[11]、ラグビーボールやサッカーぼーるを使った新しいボールゲームとして「静岡式フットボール」を開発。ラグビーとサッカーのルールを併せ持ち、アイルランドの手を使うサッカーゲーリックフットボールの要素も取り入れた『鬼ごっこ×バスケ×サッカー+ラグビーボール』のスポーツ。3秒しかボールを保持できないため未来予測が求められ、スポーツを通じてコミュニケーションの楽しさ、ゲームセンスや社交性を楽しみながら身につく。 うなぎのようにニョロッと抜け出し、キレのあるステップでボールをインゴールへと運ぶ小野澤。2000年、抜けそうもないところから突破する、小野澤特有のプレーをサンケイスポーツラグビー担当の芳賀宏[12]氏が「うなぎステップ」と命名。し、体幹の強さ・アジリティ(敏捷さ・瞬間的な速さ)やバランス感覚の良さで動きで相手を交わし続け前に進む「キレキレのステップ」は“うなぎステップ”の名で日本では定着。。海外メディアからはゴムのような柔らかいステップから「ラバーマン(rubber man)」と呼ばれている。
人物・来歴
教育者・指導者
ラグビーボールを使った鬼ごっこのようなゲーム「チェイスボール」を考案(オノタケ式・静岡式フットボール)
うなぎステップ・ラバーマン
経歴・履歴
静岡県島田市(金谷町)出身
小野澤家の長男
誕生時の体重は4,250グラム
身長180cm、体重86kg[13]
血液型A型
ポジションはウィング(WTB)とフルバック(FB)
ニックネームは『ざわ』
趣味は競技自転車でのサイクリング[14]LOOKに乗り、JSPORTSの番組にゲスト出演し、自転車について熱く[15]語っていた。
大洋ホエールズの元投手、竹内宏彰は義父。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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