おの えみこ
小野 恵美子
生誕豊田恵美子
1944年
福島県内郷町
死没2023年8月4日(79歳没)
福島県いわき市
死因アルツハイマー型認知症終末期
住居福島県いわき市
国籍 日本
別名レイモミ小野
レイモミ豊田
出身校福島県立磐城女子高等学校
時代昭和 - 平成
団体常磐音楽舞踊学院
著名な実績常磐ハワイアンセンターでのフラガールとしての活動、および引退後の後進の育成、フラガール甲子園開催などによる、いわき市の文化芸術の振興への貢献
影響を受けたもの香取希代子
小野 恵美子(おの えみこ、1944年〈昭和19年〉[1] - 2023年〈令和5年〉8月4日[2])は、日本の舞踊家。福島県いわき市の常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾートハワイアンズ)のダンサー育成学校である常磐音楽舞踊学院の第1期生の1人で、ハワイアンセンターのダンサーチーム(フラガール)の初代リーダー。ハワイアンセンターの開業以来、10年にわたってフラガールのトップダンサーとして活躍した。現役を引退後も、常磐音楽舞踊学院やいわき市内外のダンス教室で後進の育成に努め、フラダンスの全国大会「フラガールズ甲子園」の開催などで、いわき市の文化芸術の振興へ貢献するなど、いわき市のフラ文化の礎を築き、生涯を舞踊に捧げた[3]。スパリゾートハワイアンズを舞台とした映画『フラガール』(2006年公開)の主人公のモデルの1人でもある。旧姓は豊田恵美子[4]。ハワイアンネームはレイモミ小野(lei momi 小野[5])、旧姓時はレイモミ豊田。 福島県内郷町(現・いわき市)で誕生した[1]。小学生の頃にクラシック・バレエを学び始め[6]、後年に日本フラメンコ協会名誉会長となる香取希代子
経歴
誕生 - 舞踊家の道へ
高校を卒業後、就職先の忘年会でバレエを披露したことが縁でスカウトされ、常磐音楽舞踊学院のリーダーとなった[10]。一期生の中で唯一のダンス経験者であったため、最初から常磐ハワイアンセンターでトップのソロダンサーを任されることが決定していた[11]。石炭産業で栄えた郷里が活気を失っていたことから、かつての賑わいを取り戻したいとの使命感もあった[12]。
1966年(昭和41年)にハワイアンセンターが開業し、「レイモミ豊田」の名で舞台に立った[13]。当時はまだ周囲からの理解は浅く、フラダンスを知らないどころか、ダンス自体を見たことのない者も多かった[14]。腰みのを着けて人前で腹を出して踊る姿を温泉街のヌードショーのように思う者[15]、タヒチアンダンスを「腰振りダンス」と冷やかす者もいた[14]。しかし、最初の舞台を見て涙を流す観客もおり、「これでやっていける」と希望を抱くに至った[16]。当初は「3年くらい」と考えていたが、その後、約10年に渡って舞台に立ち続けることとなった[12]。 1976年(昭和51年)に、結婚のためにハワイアンセンターを引退した[11]。その後は「レイモミ小野」の名で[17]、いわき市内でバレエ教室「エミ・バレエスクール」(現・RedStorySchool[2])を開き[11]、バレエ、スペイン舞踊、美容体操などを教えた[18]。郡山市や仙台市にも教室を開き[19]、東北を中心としてフラダンスやタヒチアンダンスの普及に努めた[5]。舞踊家として福島県内外の舞台にも立ち、東京でも舞台に立った[11]。 1997年(平成9年)には常磐音楽舞踊学院の講師のカレイナニ早川
引退後
映画『フラガール』撮影時は、ロケ地まで赴いて協力した[2]。映画の人気により、小野とカレイナニ早川の知名度も一躍、向上した[20]。いわき市では映画公開を機に、フラガールを観光にいかすための様々な企画が行われ、小野はその一つとしてフラダンス教室を担当した[21]。
2009年(平成21年)には、舞踊45周年記念公演としての創作フラメンコの舞台「常磐ハワイアンセンター物語・フラメンコ編 スパニッシュガール」(いわき芸術文化交流館アリオス)で、かつての師である香取希代子の役を演じた[20][22]。
2010年(平成22年)には、書道パフォーマンス甲子園をヒントとして「フラガールズ甲子園」を発案し[23]、同2010年にその大会会長に就任した[24][25]。