小野寺昭
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小野寺章」あるいは「小野寺晃良」とは別人です。

おのでら あきら
小野寺 昭
本名小野寺 昭(同じ)
生年月日 (1943-09-19) 1943年9月19日(80歳)
出生地 日本 北海道帯広市
身長173 cm
血液型O型
職業俳優
ジャンルテレビドラマ舞台映画
活動期間1968年 -
配偶者既婚
公式サイトプロフィール - フロム・ファーストプロダクション
主な作品
テレビドラマ
太陽にほえろ!
黄金の日日
御宿かわせみ』シリーズ
毎度おさわがせします
必殺仕切人
HOTEL
新・部長刑事 アーバンポリス24
葵 徳川三代』映画
釣りバカ日誌』シリーズ
相棒 -劇場版- 絶体絶命! 42.195km 東京ビッグシティマラソン
龍三と七人の子分たち

 受賞
東京スポーツ映画大賞
助演男優賞
2016年龍三と七人の子分たち

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小野寺 昭(おのでら あきら、1943年9月19日[1] - )は、日本俳優大阪芸術大学短期大学部客員教授。本名は同じ[1]。柊企画[1]を経て、フロム・ファーストプロダクション所属。身長173cm。血液型はO型

北海道[1][2]帯広市出身。北海道帯広三条高等学校卒業[1]
人物・来歴

もともと引っ込み思案の恥ずかしがり屋で、人前で何かをすることが苦手だった。地方公務員の父親がアマチュア劇団を主宰しており、舞台を覗いた時に、普段できないことをお芝居という力を借りて別人になってできることに興味を持ち俳優を志す[3]。高校時代に演劇部の部長として『夕鶴』の与ひょう役を演じ、高校演劇コンクールで地区代表に選ばれて北海道大会に出場した[4]。高校卒業後、東京で児童劇団を主宰していた父親の元劇団仲間を頼って、上京する。俳優座養成所入所を目指すも2年連続で受験に失敗する。最終選考では高橋長英が隣の番号で、合格していれば花の15期生だった[3][5]。劇団やまいもに参加し、『チロリン村とくるみの木』の人形操作を最終回まで担当した。当時は人形を操りながら、「役者になりたくて東京へ出てきたのに、顔を出すと怒られるなんて」と悔しがったが、芝居のセリフを入れたテープをもらい、カット割りを頭に入れ、スタジオでテープの声に合わせて、足元のモニターを見ながら人形を操作する作業により、ドラマ・映画の撮影時のカット割りの要領を独学で覚えた[6][3]

また、上京後の児童(人形)劇団の下積み時代、アルバイト先のバーのママに「役者になりたいなら必要」と、日本舞踊の基礎を叩き込まれた[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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