小路明善
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こうじ あきよし
小路 明善
生誕 (1951-11-08)
1951年11月8日(72歳)
日本 長野県
出身校青山学院大学法学部
職業実業家
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小路 明善(こうじ あきよし、1951年11月8日 - )は、日本の企業家アサヒグループホールディングス代表取締役社長最高経営責任者日本経団連副会長。
略歴

長野県生まれ。長野県松本県ヶ丘高等学校を経て[1]青山学院大学法学部卒業。1975年アサヒビール株式会社入社。

1980年から10年にわたって労働組合専従として書記長などを務めた。2000年に人事戦略部長。2001年に執行役員。

2003年、アサヒ飲料株式会社常務取締役企画本部長。2007年、アサヒビール株式会社常務取締役兼常務執行役員。

2011年、持ち株会社制移行時にアサヒグループホールディングス株式会社取締役兼アサヒビール株式会社代表取締役社長。

2016年3月、アサヒグループホールディングス株式会社代表取締役社長。2018年から最高経営責任者兼務。2020年帝国ホテル取締役[2]

2021年、取締役会長兼取締役会議長。

2022年、日本経団連副会長。

(経歴の出典は 有価証券報告書)
人物

米国の小説家レイモンド・チャンドラーが代表作で書いた「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない」というセリフが好きで、その言葉を会社経営に重ね、「強いブランド、財務体質がなければ勝ち抜いていけない、だが優しい社風がなければ企業としての価値がない」と考える[3]

また影響を受けた言葉として、入社2週目に言われた先輩の言葉「君のような入社2週目の社員でも、毎日10件のお得意先を10年間まわり続けることはできるはず。それをやり遂げれば、能力がなかったとしても、必ず結果は出る」をあげている[4]。労働組合専従時代は会社の経営が苦しい時期で、無念のうちに社を去った社員の「地道に仕事をして会社を支えていた社員が、どんな思いで辞めていくのか、組合の幹部なら、声なき声を聞いてくれ」という言葉も忘れられないという[5]

妻と長女、長男の4人家族だが、長男が独立したため3人暮らし。趣味はギター演奏と映画鑑賞。
出典・脚注^縣陵22回昭和45年(小西教室)卒「長野県松本県ヶ丘高校同窓会 母校愛のリレー」
^ 「人事、帝国ホテル」 日本経済新聞(2020/3/26 10:58)
^毎日新聞 アサヒグループホールディングス・小路明善次期社長インタビュー
^リダーたちの名言集(入社直後に私の担当になった先輩の言葉)
^ アサヒグループホールディングスの小路明善社長兼CEO(上)「非凡な努力」を評価 労組での10年が自分育てた

外部リンク

毎日新聞 アサヒGHD新社長にアサヒビールの小路社長


毎日新聞トップ登場 アサヒグループホールディングス・小路明善次期社長

日刊工業新聞 アサヒの新社長は「直感力と直観力」で世界に打って出る

先代
(新設)アサヒビール社長
2011年 - 2016年次代
平野伸一

先代
泉谷直木アサヒグループホールディングス社長
2016年 - 2021年次代
勝木敦志

先代
泉谷直木アサヒグループホールディングスCEO
2018年 - 2021年次代
勝木敦志


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