小貝川
つくばみらい市・谷原大橋より小貝川橋方面
水系一級水系 利根川
種別一級河川
延長111.8[1] km
平均流量-- m³/s
流域面積1,043.1[1] km²
水源栃木県那須烏山市
水源の標高-- m
河口・合流先利根川(利根町/取手市)
流域栃木県、茨城県
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TX小貝川橋梁付近(2009年9月5日撮影)文巻橋(取手市)より上流方向 (2007年8月29日撮影)
小貝川(こかいがわ)は、関東平野を北から南へと流れる一級河川。利根川水系利根川の支流である。全長111.8kmで、利根川の支流中で第2位の長さを誇る。また川の美化活動も活発で、国土交通省関東地方整備局下館河川事務所主催により毎年7月第2土曜日に「小貝川クリーン大作戦」が開催され流域市町村では一斉に清掃活動が行われる。 古くは小飼川、蚕養川と表記され、前井川、幸田川の別名を持つ。バス釣りのポイントとしても有名で、釣り雑誌などでよく取り上げられる。下流はかつて下総国と常陸国(廃藩置県後の千葉県と茨城県。後に千葉県の利根川以北は茨城県に編入)の境となっていた。 頻繁に洪水を起こす「暴れ川」として知られる。また、かつての河道が蛇行を繰り返していたことから、流域には三日月湖が点在している[2]。 下流部は小貝川低地と呼ばれる低地で、筑波・稲敷台地(常陸台地)の末端の湾入部には牛久沼がある[3]。 語源については諸説がある[4]。 栃木県那須烏山市曲畑(そりはた)の小貝ヶ池に源を発し南へ流れる。五行川、大谷川等の支流を合わせ、茨城県取手市、北相馬郡利根町と千葉県我孫子市の境で利根川へ合流する。 縄文海進時には下妻付近まで入り江が湾入し、古鬼怒湾(香取海)を形成した。その後、鬼怒川・小貝川の土砂が堆積し古鬼怒湾は後退し、また河道の変化も激しく、その跡は広大な氾濫原となった。また小貝川が堰き止められ騰波の江があった。江戸時代寛永期頃は、小貝川は現在のつくばみらい市寺畑(旧・谷和原村)付近で鬼怒川に合流していた。 その後、鬼怒川は瀬替え工事が行われ、板戸井を開削し常陸川に合流させたので、小貝川と合流しなくなった。 また戸田井・羽根野を開削し小貝川を南流させ常陸川の狭窄部に合流させた。詳細は「利根川東遷事業#江戸時代」および「利根川#江戸前期の河川事業」を参照 1938年の水害の後、建設省は布川町と布佐町の間の狭窄部に原因があるとして、北文間村から東文間村の利根川に向けて小貝川の流路変更する計画を立てた。この計画には多数の耕地が潰れるものであったことから、地域住民らは強烈な反対運動を展開、一時は内務省役人を竹槍で殺害する計画まで立てられた。第二次世界大戦後も、建設省は1949年(昭和24年)度、1950(昭和25年)度と続けて耕地買収予算を計上していたが、地元の反対は強く買収は進まなかった。1950年(昭和25年)の水害の直前にも茨城県議会議員と地元住民らが、建設省に建設反対の陳情に訪れていた[5]。 狭隘な河川のため、下流部の龍ケ崎市・取手市(旧・藤代町)周辺において幾度となく堤防からの溢水、堤防の破堤を繰り返してきた歴史がある。
概要
語源
流域の貝塚があり、小貝がたくさん採れたことから呼ばれる。
常陸・下総の国境を流れていたので、国境(こっかい)がいつか「こかい」になった。
地理
流域自治体
栃木県
那須烏山市 - 芳賀郡市貝町 - 芳賀郡益子町 - 真岡市
茨城県
筑西市 - 下妻市 - (常総市・つくば市の境) - つくばみらい市 - (つくばみらい市・守谷市の境) - 取手市 - (取手市と龍ケ崎市の境) - (取手市と利根町の境)
歴史
水害の歴史
1935年(昭和10年)9月26日 - 群馬県内の集中豪雨の影響で水位が上昇。高須村大留地内の堤防200mが決壊[6]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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