小説
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小説(しょうせつ、: fiction(総称),novel(長編),story(短編)、: roman(長編),nouvelle(中編),conte(短編))は、文学の形式の一つである。
定義

小説には明確な定義や形式はなく、作者が描きたい人間や社会を自由に散文で表現する文学形態である。ロマンス(空想物語)やノベル(比較的現実性のある物語)など、現代で一般的に小説と呼ばれるものは、フィクション(想像による創作・虚構)と総称され、あくまでも事実を書いていく「ノンフィクション」(伝記・ルポルタージュ)と区別している。

ノベルはロバート・モリソンの「英華字典」(1822年刊)でnovelの見出しで「A small tale」と載り、その後、坪内逍遥が西洋の文学形態の変遷を踏まえ、『小説神髄』でnovelの訳語とした。その後、坪内逍遥に影響された二葉亭四迷が著した小説総論リアリズムが主張された。
起源
小説か物語か

小説という言葉は、君主国家政治に対する志を書いた大説や、君主の命などを受けて編纂された国史に分類される伝統的な物語説話に対して、個人が持つ哲学概念や人生観などの主張を、一般大衆に、より具体的に分かりやすく表現して示す、小編の言説という意味を持たされて、坪内逍遙らによって作られて定着していったものとも言われている。

以前は、小説と物語の間には明確な区分があるとされてきた。すなわち、“話の展開に内容から導かれる必然性があるもの”が小説であり、“内容とはかかわりなく偶然のつながりによって話を進めてゆく”のが物語という見方である。言い換えると小説は「虚構の連続性と因果律のある話の構造」を持たねばならないことが条件とされた。

さらに発展して「話の展開と主人公の具体的な性格に必然的な関わりがあるのが小説。そうでないのが物語」とも言われた。19世紀以降に小説の主題概念が強くなるために「小説」は主題、主人公の造形、話の展開の結びつきが密接であることを要求されてきた。

ただしこのような観念は、20世紀に入って『贋金造り』(アンドレ・ジッド)のような小説が登場するに至って、崩壊したといえよう。反小説なる小説まで登場した現代では、もはや何を以て小説とするかは一概に決めることはできない。

このように近代文学観の呪縛から離れてみれば、古代日本文学の『源氏物語』(紫式部)は、近代の心理小説に匹敵する描写がみられることが指摘されているし、古代ギリシャ文学の『ダフニスとクロエ』(ロンゴス)なども、「小説」的要素を持った最古の例のひとつといえよう。
ヨーロッパの小説

ヨーロッパでは17世紀まで「小説」は、「小話」と長編の散文との間の、短い物語のジャンルとして考えられていた(現在の短編小説にあたる)。セルバンテスの『模範小説集(Novelas ejemplares、英語版)』は短篇の物語集であるが、それまでの散文形式にとらわれない、「新しい物語叙述」を創り出した。

セルバンテスの書いた『ドン・キホーテ』(1605-1615年)は作者の世界観を表現しながら、登場人物たちの成長や葛藤心理の変化など、「個」に主眼においた近代的な作品であった。よって彼をもって「近代小説の祖」とする人もいる。また同様の理由で、デフォーの『ロビンソン・クルーソー』(1719年)も「近代小説の祖」といわれる。

近代小説の起源は、フランスで18世紀に流行した書簡体小説(手紙、あるいは手紙のやりとりという体裁の文学)から始まる。近代小説の発展は18世紀以降のイギリス、フランスなどでの中産階級の勃興と切り離すことができないとされている。すなわち、識字率の高い、比較的裕福な人たちが読者層となり、その独特のニーズに合わせて発展したと考えられている。

またイギリスで起こった産業革命により印刷術が発達し、さらに言論、出版の自由が社会的に保障されるようになってから次第に中産階級、労働者階級にも浸透していくことになる。
中国の小説「小説家 (諸子百家)」、「六朝から清末の文言小説 」、および「白話小説」も参照

前近代中国において「小説」という用語が使われ始めたのは、図書目録上でのことだった(『漢書』「芸文志[1])。しかもそれは、文学芸術的な用語として生まれたのではなかった。「芸文志」には「街談・巷語、道聴・塗説する者が造る所なり[2]」「諸子十家、その観るべきもの、ただ九家のみ[3]」という記述がある。街巷で語られた話や道端で聞いたり言ったりしている者が作り上げたのが小説であるとされ、九流の諸子とは異なり、一ランク下のものと考えられていたことが分かる。

遡って、『荘子』「外物篇[4]」には「小説を飾り以て縣令を干むるは、其の大達に於いて亦た遠し[5]」とある。直訳すれば、取るに足りない言説で県令になることを求めるのは、その目標から遠い、となる。ここで言わんとすることは、手段と方法を合わせることで目的に到達することが出来るということである。

後漢になると、桓譚は、その著の『新論』中において、小説に対する議論を展開しているが、ここには大きな変化が見られる。つまり「かの小説家は残叢の小語を合し、近く譬喩を取り、以て短書を作り、治身理家に、観るべきの辞あり」と述べられているのである。ここで用いられている小説は、後代の小説と、似通った意味合いで用いられる。但し桓譚が用いている「短書」とは、なお軽慢の意があることは免れない。

中国で唯一の小説家皇帝曹丕のような例外はあるものの、古代中国での小説は以上のように上流階級から蔑まれる物であった。しかし、これ以降の時代には主に民衆から支持を得る形で小説が人気を得ていく。

六朝時代の小説は、内容的に神異的になり、志怪小説と呼ばれた。代の伝奇小説に至ると「奇」が勝ちをおさめた。魯迅が『中国小説史略』[6][7]の中で指摘しているように、と同様に唐代で一変し、なお怪異を求める風は存したが、その文学性は格段に洗練された。つまり、唐代の「伝奇」は、従来のように怪異を叙述しながら、人事の機微までをも描き得ており、それは、前代の「志怪」の描ききれていないところであったのである。代表的なのは、『枕中記』や『霍小玉伝』[8]である。また唐代には、通俗小説が出現し、後世の文学に多大な影響を与えた。

代には、庶民の社会生活を描写した「話本」が出現し、『碾玉観音』[9]や『錯斬崔寧』[10]などの代表作[11]が作られた。宋代話本の特色は白話小説と呼ばれ、白話(口語)を用いて描写される点にある。よって、唐代の伝奇に比べて更に通俗的となった。

元曲が著しく発展した代は、伊藤漱平によれば小説史に於いては不作の時代だったが、唐・宋伝奇の末流として、元初という小説不作の時代に開いた浪花(あだばな)ともいえる『嬌紅記(中国語版)[12]』があるが、字数が唐・宋代のものより多いため小説長編化の途上の作品とされる[13]


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