小説家の休暇
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小説家の休暇
作者
三島由紀夫
日本
言語日本語
ジャンル日記随筆評論
発表形態書き下ろし
刊本情報
出版元大日本雄弁会講談社
出版年月日1955年11月25日 
装幀久保守
総ページ数178
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『小説家の休暇』(しょうせつかのきゅうか)は、三島由紀夫日記形式の評論随筆1955年昭和30年)6月24日から8月4日まで約1か月半の日記の体裁をとりつつ、天候や私的な日常記述や時事はごく僅かで、読書感想や観劇評、随想や芸術観などが主体となり、最後の日は日本文化論を展開している[1][2]。発表は書き下ろしで、同年1955年(昭和30年)11月25日に大日本雄弁会講談社より刊行された[3][4]

一見、西洋型の作家と見られていた昭和30年代の三島の内面に、すでに晩年の行動(三島事件)へと向かう思考や諸要素が内包されていることが看取され[1][2][5]、三島の精神史の断面を知る手がかりとなる重要な随筆・評論でもある[2]。この評論の断章のいくつかは、のちの『文章読本』(1959年)や『葉隠入門』(1967年)などで再び生かされている[1]
作品背景

『小説家の休暇』を執筆していた1955年(昭和30年)の夏の前には、『沈める滝』『白蟻の巣』を書き終え、『幸福号出帆』を連載中の時期であった[6]。『小説家の休暇』を擱筆した後の9月からは肉体改造(ボディビル)に乗り出し、11月には、次作の取材のため京都金閣寺へ出発し[6]、すでに長編『金閣寺』の構想が練られている最中でもあった[7][8]

前年1954年(昭和29年)には『潮騒』がベストセラーとなり、それまでにも近代能楽の戯曲『邯鄲』『綾の鼓』『卒塔婆小町』などが高い評価を受け、劇作家としても成功し、「鉢の木会」の一員にもなるなど作家として大きく成長していた時期であった[8]。私生活でも肉体関係を持った恋人(豊田貞子)ができ、結婚を視野に交際中の頃であった[8][9]。三島は1955年(昭和30年)7月5日の項で、次のように語っている[10]。このごろ外界が私を脅かさないことは、おどろくべきほどである。外界は冷え、徐々に凝固してゆく。さうかと云つて、私の内面生活が決して豊かだといふのではない。内面の悲劇などといふものは、あんまり私とは縁がなくなつた。まるで私が外界を手なづけてしまつたかのやうだ。そんな筈はない。決してそんな筈はなし、又そんなことができる筈もない。(中略)

大体において、私は少年時代にみたことをみんなやつてしまつた。少年時代の空想を、何ものかの恵みととによつて、全部成就してしまつた。唯一つ、英雄たらんと夢みたことを除いて。
ほかに人生にやることが何があるか。やがて私も結婚するだらう。青臭い言ひ方だが、私が本心から「独創性」といふ化物に食傷するそのときに。 ? 三島由紀夫「小説家の休暇」[10]

これ以前の三島は絶えず外界に脅かされ、内面に激しく渦巻く悲劇に必死に対処してきていたが、急にそれが消えたことを吐露し[8]、その現象を、クレッチマーが説いた分裂性気質の段階症例に倣いつつ自己分析して、のように硬く〈皮革のやうに〉ごわごわしたものが身のまわりを包んで鈍麻しているものと解析している[10]

そういった状態で迎えた30歳代を一区切りとして、様々な断想や評論がここで綴られ、代表作となる次の『金閣寺』では、これまでの半生を総括するような長編小説として取り組まれていくことになる[8]
内容

1955年(昭和30年)6月24日から8月4日までの日記の項で、様々なテーマの断想や評論が綴られていくが、先ず初日の酷暑の日の冒頭では導入部的に、夏の日光に、よみがえってくる戦後の一時期の〈兇暴な抒情的〉イメージを語り、夏という観念には〈二つの相反する観念〉(・活力・健康と、頽廃・腐敗・)が奇妙に結びつき、1945年(昭和20年)から1947年(昭和22年)にかけて〈いつも夏がつづいてゐたやうな錯覚〉があると振り返る[11]。あの時代には、骨の髄まで因習のしみこんだ男にも、お先真暗な解放感がつきまとつてゐた筈だ。あれは実に官能的な時代だつた。倦怠の影もなく、明日は不確定であり、およそ官能がとぎすまされるあらゆる条件がそなはつてゐたあの時代。

私はあのころ、実生活の上では何一つできなかつたけれども、心の内には悪徳への共感と期待がうずまき、何もしないでゐながら、あの時代とまさに「一緒に寝て」ゐた。どんな反時代的なポーズをとつてゐたにしろ、とにかく一緒に寝てゐたのだ。
それに比べると、一九五五年といふ時代、一九五四年といふ時代、かういふ時代と、私は一緒に寝るまでにはいたらない。いはゆる反動期が来てから、私は時代とベッドを共にしたおぼえがない。 ? 三島由紀夫「小説家の休暇」[11]

そして翌日の6月25日からは、ほぼ1日1項目のテーマで、「芸術の節度について」、「小説固有の問題について」、「太宰治について」、「音楽について」、「描写について」、「『モオヌの大将』について」、「俳優芸術について」、「行為について」、「男色について」、「日本人の構成力について」、「『酸素』について」、「サディズムについて」、「永福門院について」、「水爆時代について」、「『フェードル』について」、「叙事詩について」、「神秘な詩句について」、「『アドルフ』について」、「いはゆるスラムプについて」、「自然について」、「笑ひについて」、「『葉隠』について」、「文化的混乱について」などの考察、評論が展開されていく。

例えば、「音楽について」では、〈人間精神の暗黒の深淵のふちのところで、戯れてゐる〉音楽という〈無形態〉の芸術に対する自身の恐怖心を告白し、ベートーベンを聴く音楽愛好家が〈形のない暗黒に対する作曲家の精神の勝利を簡明に信じ、安心してその勝利に身をゆだね、喝采してゐる点では、のなかの猛獣の演技に拍手を送るサーカスの観客とかはりがない〉として、サーカスの観客は万が一、猛獣が檻を破る危険を自覚しているのに比し、音楽愛好家が何の危険も感じずに、作曲家が厳格な規律の元に統制した音を無防備に享楽していることに驚き、〈もし檻が破れたらどうするのだ。勝つてゐるとみえた精神がもし敗北してゐたとしたら、どうするのだ〉と音楽の危険性について語っている。

「行為について」「『葉隠』について」では、行為による現実認識の意義が語られ、「サディズムについて」では、苦痛と絶対主義の関連性が説かれており、「叙事詩について」では、英雄の行為において、外側からもはっきり見える心への希求が、近代ジャーナリズムの社会機構が失った表現と共に述べられている。また、「芸術の節度について」「水爆時代について」では、科学の発達、20世紀の〈巨人時代〉における肉体と精神のアンバランスや対立関係について論じている。

「太宰治について」では、太宰嫌いを公言し、「笑ひについて」では、自虐的な笑いを批判して、〈さまざまな自己欺瞞のうちでも、自嘲はもつとも悪質な自己欺瞞である。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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