「小西顕」とは別人です。
日本の政治家小西 哲こにし あきら
生年月日1949年9月13日
出生地 日本 滋賀県近江八幡市
没年月日 (2001-07-23) 2001年7月23日(51歳没)
死没地 日本 東京都新宿区
出身校東京大学法学部
前職警察官僚
所属政党自由民主党(橋本派)
称号正五位
勲四等旭日小綬章
親族弟:小西理(近江八幡市市長)
衆議院議員
選挙区滋賀2区
当選回数1回
在任期間2000年7月4日 - 2001年7月23日
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小西 哲(こにし あきら、1949年9月13日 - 2001年7月23日)は、日本の警察官僚、政治家、元衆議院議員。自由民主党員、派閥は橋本派所属。弟は元衆議院議員で近江八幡市長の小西理。 1949年9月13日、滋賀県近江八幡市で小西和彦、政子の長男として生まれた[1][2]。野中広務の追悼演説によれば、少年期に両親の「慈愛に満ちた薫陶」や滋賀県の「自然の恵み」と「深い郷土愛」にはぐくまれたという[1]。蒲生中学校(船岡中学校の前身)、彦根東高等学校、東京大学法学部を卒業[1][2][3]。 1972年に警察庁に入庁し、広島県警交通指導課長に就任[2]。1978年に厚生労働省公衆衛生局精神衛生課課長補佐、1982年に運輸省自動車局貨物課補佐官に就任[2]。1984年から熊本県警警務部長、警察庁交通局交通指導課長、宮崎県警本部長、九州管区警察局総務部長、警察庁交通局交通規制課長などを歴任[2]。 1996年9月、警察庁交通局交通規制課長を退職[1][3]。その後、地元の政治家らの強い要請を受け、自由民主党滋賀県第二選挙区支部長に就任[1]。1996年の第41回衆議院議員総選挙に滋賀2区から出馬した。しかし選挙2ヶ月前の帰郷といったこともあり、選挙準備も間に合わずに落選した[1]。 2000年の第42回衆議院議員総選挙に再び出馬。公明党、保守党の推薦を受けた[4]。小西は前回の選挙以来の政治活動から「政治の原点は生活の中」にあることを学んだとして、そのための景気回復や自身の若さ、大病を患った直後である現職・武村正義の健康不安を訴えた[1][5][6]。結局、小西は武村を破って当選し、地元のさきがけ王国を破った[4]。なお彼は当選後、「武村氏は立派な先輩。ご教授を得ながら地域発展に頑張る」とも語っている[4]。 国会では地方行政委員会
経歴