小若江
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小若江
町丁
近畿大学 本部キャンパス(東正門)
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}小若江小若江の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度39分1.81秒 東経135度35分7.55秒 / 北緯34.6505028度 東経135.5854306度 / 34.6505028; 135.5854306
日本
都道府県 大阪府
市町村 東大阪市
面積[1]
 ? 合計0.460876782 km2
人口(2020年(令和2年)3月31日現在)[2]
 ? 合計5,055人
 ? 密度11,000人/km2
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号577-0818[3]
市外局番06(大阪MA[4]
ナンバープレート大阪

小若江(こわかえ)は、大阪府東大阪市町名。現行行政地名は小若江一丁目から小若江四丁目。
地理

小若江一 - 四丁目が存在し、近畿大学は地域の東の三丁目にあたる。学生街に多く見受けられる学生向けの低価格の飲食店や24時間営業のスーパーマーケットコンビニエンスストアなどが多く、生活の利便性は高い。また、平地が多く、坂といえるような高低差はわずかに村の西端にある旧大和川(現在の長瀬川)の堤防跡の緩やかな坂のみであり、自転車などでの移動が容易である。ただし道は狭いため自動車での移動はしづらい。

西に外れた、菱屋西一丁目に近鉄長瀬駅があり、最寄り駅となっている。また、地域東には旧大阪中央環状線が通っている。
歴史

日本 > 畿内 > 河内国 > 若江郡 > 小若江村)

小若江村は、市町村制が施行される、明治22年(1889年4月1日まで若江郡に存在した。明治22年(1889年4月1日に近江堂村、友井村と合併し、弥刀村の一部となった。

大正14年(1925年)に財団法人日本大学によって日本大学専門学校がこの地に設置され、それが現在の近畿大学へと発展した。この日本大学専門学校の誘致に取り組んだのが、小若江村の庄屋の家柄であった。中河内郡には「怖い小若江、恐ろし近江堂」という言葉が現在も伝わっており、他村から農事に励む両村の農民を指してそのように表現されるほど小若江村の農民は農事に励んだといわれている。現在は近畿大学の学生の町となり、それらの農家の多くが学生向けのワンルームマンションなどのオーナーに転進している。

また、大阪電気軌道(現在の近畿日本鉄道)が上記の武村亀二郎の誘致により早くからひかれたことから、この地域は戦前(大正年間)から住宅地として開け、太平洋戦争による空襲の被害を免れたこともあって、現在でも築年数が70年を越える住宅が多く見られる。

そういった経緯から、狭い道路が入り組むなど地域内の状況は雑然としており、現在の耐震基準や防火基準に見合わない老朽化した家屋も多く、防火・防災上の観点からも再開発の必要性が叫ばれているものの、借地権借家権などの問題から再開発は遅れている。
世帯数と人口

2020年(令和2年)3月31日現在(東大阪市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目世帯数人口
小若江一丁目968世帯1,666人
小若江二丁目836世帯1,524人
小若江三丁目676世帯1,323人
小若江四丁目300世帯542人
計2,780世帯5,055人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。1995年(平成7年)7,951人[5]
2000年(平成12年)7,521人[6]
2005年(平成17年)7,024人[7]
2010年(平成22年)6,673人[8]
2015年(平成27年)6,311人[9]


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